溺れる者は藁をも掴む

「溺れる者は藁をも掴む」説明の要らない諺だと思う。だが、少し違った観点から私の体験を述べてみたい。少し長文になることをご容赦いただきたい。

10年以上前、私は鳴り物入りで米国留学したものの、大した結果も残せず、失意のまま帰国することとなった。

幸い、お世話になった先生のご好意で、非常勤の研究員として雇っていただけることになった。

そこで私は、以前から興味があった、骨髄間葉系幹細胞(骨髄内に存在し、骨、脂肪、軟骨などに分化できる細胞)によるがん細胞増殖のメカニズムを解明しようと試みた。

具体的には、上層と下層を半透膜で隔てた培養皿の上層にがん細胞、下層に間葉系幹細胞を播いて一緒に培養し、種々の阻害物質を添加するという実験を行っていた。

半年経っても、目ぼしい結果は得られなかった。

年齢は34歳を越え、家族も増えたこともあり、将来への不安が募った。

「研究者としてやっていくのはもう限界か・・・。」日々そんなことばかり考えていた。

ある夜、不思議な体験をした。

息子を寝かし付け、洗濯物を干し(妻はもう寝ている)、一息ついた時だった。

悔しい訳でも悲しい訳でもないのに、滝のように涙が溢れてきた。

後にも先にも、初めての体験だった。

翌日、「これで結果が出なければ、研究者として生きるのは諦めよう。」と自分に言い聞かせ、最後の実験を行った。数日後、やはり結果は得られなかった。

「ああ、これで本当に終わりなんだな・・・。」と思ったが、不思議と心は穏やかだった。

この後の行動は今でも説明がつかない。

普段は決してそんなことはしないのだが、一緒に培養した間葉系幹細胞が生えている下層を顕微鏡で覗いてみた。

ほとんどのウェルでは間葉系幹細胞は扁平で大型の形態を示していたが、ある薬剤を添加したウェルでのみ、間葉系幹細胞が小さく細長い形態を示していた。

「なんでこんなことが!?」と我が目を疑った。

何度が同じ実験を試みたが、結果は一緒だった。

当初の計画とは大きく逸れたものの、興味深い結果を目の当たりにし、私は暗く長いトンネルを抜けたような気分だった。

やや専門的になるが、その現象は、間葉系幹細胞の細胞老化が抑制されていたことを示していた(Kanehira et al., Plos one, 2014)。

やがてその研究は、多発性骨髄腫の発症率が加齢とともに増加するメカニズムを解明するという研究へと発展することになる(Kanehira et al., Stem Cells 2017)。

現在は、呼吸器にテーマをシフトし、そのメカニズムと疾患との関わりを研究している。

未だにあの時の涙の理由はわからないが、もし神様がいるとしたら、「ほら、ゴールはもうすぐそこだ。」と背中を押して下さったのかも知れない。

もしあの時、培養皿の下層を見ていなかったら、私は間違いなく研究者として生きることを諦めていた。

単なる偶然か?それとも「研究者を続けたい」という私の深層心理が、脳内の新たな回路をバイパスしたのか? 

溺れる者が掴んだ藁は、意外にも丈夫で長い藁だった。そして今も私の研究者人生を繋いでくれている。