私を変えた言葉9

つまらないことで躓いてるぞ

これは、以前「物になるには時間がかかる」でご登場いただいたO先生の言葉である。

私は学部学生の時、卒業研究のテーマとして、当時社会問題となっていた腸管出血性大腸菌に関する研究に従事していた。

月に数回、食肉処理場へお邪魔しては、牛の腸内容物を採取し、腸管出血性大腸菌の保菌状況を調べていた。

具体的には、現在、病原体の検出方法の主流となっているPCR法を用いて、腸管出血性大腸菌が保有する毒素の遺伝子を検出していた。

当時師事していたS教授のご高配で、岩手県の衛生研究所に通い、一通りの手技を習得した(つもりだった)。

しかし、試薬も機器も同じものを使用していたが、遺伝子は検出されなかった。

それどころか、PCRの反応が進んでいる気配すらなかった。

失敗するたび、S教授から「衛生研究所だけじゃなく日本中、いや世界中で使われてる方法なんだ。君だけできない訳ないだろ!?」とお叱りを受けた。

私は、「検出感度が低いのでは?」と思い、検査に用いる腸内容物からの抽出物(DNA)を増やしていった。

しかし、遺伝子が検出されることはなかった。

試薬の金属イオン濃度や反応温度までも検討し、ついには実験前日の断酒(禊ぎ?)までも行ったが、結果は同じだった。

まさに「八方塞がり」で、食事も喉を通らない程に追い詰められていた。

そんな私の様子を見かねたO先生は、

「兼平君、一旦頭の中を真っ白にしてみろ。恐らくものすごくつまらないことで躓いてるぞ。」

と言葉をかけて下さった。

翌日、私は「まさか」と思い、これまで抽出物の濃度を増やしていったのとは逆に、徐々に濃度を薄めていった。

すると、ある希釈倍率を境に遺伝子の存在を示すバンドがきれいに検出された。

あの時の感動は今でも忘れられない。私の研究者人生の第一歩といってもいいかも知れない。

その研究成果は、私の記念すべき第1報として海外の雑誌に掲載された(Shinagawa K, Kanehira M et al., Vet Microbiol, 2000)。

キャリアを積んだ今となっては当たり前に思いつくことだが、抽出物の量が過剰だったことで、PCRの反応が阻害されていたのだった。

念のため付け加えると、O先生は当時最先端だった遺伝子工学に精通しておられた訳ではない(恐らく)。

「実験手法がどんなに進歩しても、それを行うのは結局は『生身の人間』なのだ」ということ、そして「初心者が躓くのは、程度の差こそあれ、大抵は些細なミスなのだ」ということを、ご自身の長い経験から知っておられたに違いない。

(実験に限らず)「新しく始めた物事が何度やっても上手くいかない」時や、「皆が当たり前にできていることが自分だけできない」時、私は常にこの言葉を自分に言い聞かせ、原点に立ち返るようにしている。