コラム

なぜ、今、山梨大学病院で「総合診療」なのか

「大学病院は高度専門医療の場であり、総合診療はふさわしくない」という意見を耳にすることがあります。しかし、私たちはあえて、山梨大学医学部附属病院は総合診療医を育てる「核」となるべきだと確信しています。

それには、山梨県が直面している現実的な理由があります。

1. 山梨の医療を守るための「親和性」の醸成
山梨県内は研修指定病院が限られており、若手医師が地域に留まり続けるためには、大学病院との強い信頼関係(親和性)が欠かせません。 大学病院が基幹施設となり、地域病院と密に連携する本プログラムを通じて、高度医療と地域医療の双方を熟知した医師を育てること。それこそが、医師の偏在を解消し、山梨の医療体制を持続可能にする道です。

2. 二極化する医療における「ハブ」としての役割
現代医療は「高度なサブスペシャリティ」と、横断的な「プライマリ・ケア」に二極化しています。 大学病院にこそ集まる複雑な症例に対し、総合診療医が「適切な診断」と「専門科への円滑な橋渡し(ハブ機能)」を担うことは、病院全体の効率化、ひいては患者さんの利益に直結します。

3. 患者さんの「人生」と「経済」を守る全人的医療
例えば、不適切な管理で命に関わる病気を発症した場合、高度な治療で命が助かっても、患者さんには高額な医療費と生活の制限が残ります。これは医療経済的な損失であるだけでなく、患者さんの幸福を損なう事態です。 私たちは全人的に患者さんを診ることで、こうした「避けられたはずの重症化」を未然に防ぎ、患者さんの生活と笑顔を守ることを最優先としています。

 

医学生の皆さんへ:将来の付加価値を高める「医療の基本」の重要性について

医学生時代は、国家試験合格という大きな目標に向かって突き進む時期であり、同時に、将来どのような専門医になるか、夢を膨らませる時期でもあります。特定の専門分野への関心は非常に重要ですが、このコラムでは、あえて「医学生の間は、専門診療科のことばかり考えずに、医療の基本を鍛えること」の重要性を強調したいと思います。


なぜ、医療の基本がそれほど重要なのでしょうか。


1. 医療の基本は、すべての専門分野の共通言語
内科、外科、小児科、精神科、どの専門分野に進もうと、医療の根底には共通の基本が存在します。それは、病歴聴取、身体診察、カルテ記載、基本的な手技、そして臨床推論です。これらは、患者さんを包括的に理解し、適切な医療を提供するための不可欠なツールであり、すべての医師が習得すべき「共通言語」と言えます。専門医としての知識は、この強固な土台の上に築かれます。基本がしっかりしていなければ、どんなに高度な専門知識も、真の意味で患者さんの役に立つものとはなりません。


2. 医療の基本を鍛えることが、将来の「付加価値」になる
医療技術は日々進化しており、専門分野の知識はあっという間に陳腐化する可能性があります。しかし、医療の基本は普遍的な価値を持ち続けます。患者さんとのコミュニケーション、基本的な診断能力、適切な判断力は、AIが進化しても変わることのない、医師としての核心的な能力です。
医学生時代にこの基本を徹底的に鍛えることは、将来、どの専門分野に進もうと、あなたを「頼れる医師」へと成長させ、医師としての生涯にわたる付加価値を高めることにつながります。


3. 実りある臨床実習には、スキルが必要
医学生時代、最も重要な学びの場となるのが「臨床実習(ポリクリ)」です。しかし、ただ単に見学しているだけでは、実りある学びは得られません。積極的に患者さんと向き合い、医療チームの一員として貢献するためには、一定のスキルが必要です。
病歴聴取や身体診察のスキルがあれば、指導医の診断の根拠を理解でき、さらに自分自身の診断力も鍛えることができます。基本的な手技のスキルがあれば、実際の診療に貢献でき、現場の臨場感をより深く感じることができます。


本講座で提供するスキルアップの機会
医学生の皆さんのスキルアップを支援するために、様々なセミナーを定期的に開催しています。


• エコーセミナー:ベッドサイドで手軽に非侵襲的に多くの情報を得られる強力なツールです。本セミナーでは、エコーの基本的な操作方法から、臨床現場での活用方法までを実践的に学びます。
• 手技セミナー: 採血、点滴、注射、縫合などの基本的な医療手技を、シミュレーターや実技を通して、安全かつ確実に習得します。
• 臨床推論セミナー: 患者さんの主訴や検査結果から、疾患を絞り込んでいく「臨床推論」の能力を、具体的な症例を用いたケーススタディを通して鍛えます。


これらのセミナーは、皆さんの「医療の基本」を鍛え、実りある臨床実習をサポートするために設けられています。機会があれば、ぜひ積極的に参加してください。

 

大学病院の総合診療医はつらいよ

― それでも、この場所でしか育たない力がある ―


大学病院で総合診療に携わることは、決して楽な道ではありません。
多くの専門診療科と比べて、総合診療は研究テーマが分散しやすく、明確なアウトカムを示しにくい領域です。そのため、論文数やインパクトファクターといった従来の評価指標では不利になりがちです。また、高額な手技や医療機器に依存しないその診療スタイルは、構造的に収益として可視化されにくい。限られた時間の中で多様な問題に向き合い、調整役として動くその働きは、数字には表れにくい価値に支えられています。


だからこそ、私たちはいま、評価の軸を問い直す時期にあると考えます。
不必要な検査や過剰な介入を避け、患者にとって本当に必要な医療を見極めること。それは目に見えにくい行為ですが、医療全体の持続可能性を支える、きわめて重要な仕事です。総合診療医は、医療の質を保ちながら社会的コストを調整する"見えない基盤"とも言える存在です。
そして、大学病院という環境で鍛えられることの意義は、決して小さくありません。多様で複雑な症例に触れ、各専門診療科と日常的に連携する中で、「どこまでを自ら担い、どこからを専門医に委ねるべきか」という判断力が磨かれます。先端医療の実際を間近で学び、必要なときに迅速につなぐネットワークも築かれていく。
この経験を持った総合診療医が地域医療の現場に立ったとき、その力は一層際立ちます。ありふれた疾患から見逃してはならない病態までを見極め、適切なタイミングで専門医療へ橋渡しをする。そうした医師は、地域において真に頼られる存在となります。


大学病院の総合診療医は、確かに「つらい」側面があります。しかし、その中で育まれる視点と臨床力は、他では得難いものです。私たちが目指すのは、目の前の患者と向き合いながら、医療全体の未来も見つめられる医師の育成です。山梨大学医学部地域医療・総合診療は、その信念のもと、次世代の総合診療医とともに歩み続けます。


医療コストと総合診療

― 持続可能な医療体制に向けて ―

日本の医療は、世界に誇る長寿と高い医療水準を実現してきました。しかしその一方で、急速な高齢化と医療技術の高度化に伴い、医療費は年々増加し、制度の持続可能性が大きな課題となっています。財政的な持続可能性への懸念が高まる今、医療の「量」ではなく「質と効率」を問い直す必要があります。こうした状況において重要なのは、単なる医療費抑制ではなく、「適切な医療を、適切なタイミングで、適切な場所で提供する」体制の構築です。その中核を担うのがプライマリ・ケア、すなわち総合診療です。

 

総合診療医は、臓器や疾患にとらわれず、患者の全体像を捉え、初期対応から慢性疾患管理、予防医療までを一貫して担います。これにより、不必要な検査や過剰な専門医受診を減らし、医療資源の適正配分に寄与します。また、複数の疾患を有する高齢患者に対しても、患者中心の視点で診療を行うことで、医療の質を維持しながら効率化を図ることが可能です。

 

一方で、すべてを総合診療医のみで完結させることは現実的ではありません。高度で専門的な医療は、各専門診療科の卓越した技術と知識によって支えられています。したがって、これからの医療に求められるのは、「総合診療医が入口と全体調整を担い、必要に応じて専門医が高度医療を提供する」という協働体制です。この"タッグ"こそが、医療の質を維持しながらコストの適正化を実現する鍵となります。総合診療医がゲートキーパーとして機能し、専門医がその力を最大限に発揮できる環境を整えることで、無駄のない、かつ質の高い医療が提供されるのです。

 

持続可能な医療体制の実現には、制度設計だけでなく、それを担う人材の育成が不可欠です。総合診療医の役割を理解し、その価値を社会全体で共有していくことが、これからの医療を支える基盤となるでしょう。

 

山梨大学医学部地域医療・総合診療は、地域に根ざした実践と教育を通じて、この重要な役割を担う人材の育成に取り組んでいます。医療の未来を見据え、総合診療と専門医療の調和を実現することこそが、私たちの使命です。

 

集中治療室(ICU)と地域医療は、似ている !?

― 総合的に診るという、共通の本質 ―

私のキャリアは、内科(内分泌代謝)に始まり、救急・集中治療を経て、総合診療へと至ります 。今でも「これといった専門がないね!」と言われることもあります。確かに、一つの臓器や疾患を極めた専門家とは、異なる道を歩んできました。しかしその道の途中で、一つのことに気づきました。

ICUと地域医療は、驚くほど似ていると

ICUは、命の瀬戸際に立つ患者を救うために存在します。心臓、肺、腎臓・・・一つの臓器の異常が他の臓器を巻き込み、全身が連鎖的に崩れていく。ICUの医師がしなければならないのは、個々の臓器をバラバラに治療することではなく、全身をひとつのシステムとして捉え、その破綻を食い止めることです。

 

では、地域医療はどうでしょうか。 地域で患者を診るということは、身体の症状だけを診ることではありません。その人の心理的な背景、社会的な状況、家族関係、生活環境——これらすべてが絡み合って、その人の「健康」は成り立っています。一つの問題が他の問題を引き起こし、生活全体が崩れていく。そのプロセスは、ICUにおける多臓器不全と、構造的によく似ています。ICUが「全身をモニタリングして破綻を防ぐ」ように、地域医療は「生活全体をモニタリングして破綻を防ぐ」仕事です。

 

スケールは異なります。しかし本質は同じです。臓器単体を見るのではなく、システム全体を見る。目の前の数値を追うのではなく、その人の全体像を捉える。そのような視点こそが、ICUでも、地域医療でも、求められているものです。

私は内科で内分泌・代謝の異常が全身に波及するプロセスを学び、ICUで全身管理の思想を鍛えられた経験は、総合診療の現場で確かに生きています 。「専門がない‼」のではなく、「特定の領域に限定せず、システム全体を俯瞰し、その破綻を食い止めること」こそが私の専門だったのだ!と信じるようにしています。

 

高度急性期から地域の診察室まで、場所は変わっても、医師としての本質的な問いは変わりません。 「この人に、今、何が起きているのか。」街全体をICUのようにモニタリングする——そんな総合診療医の育成を、私たちは取り組みたいと思います。


進路を選ぶ前に、自分を知る

― 総合診療医に向いているのは、どんな人か ―


医学部の学生にとって、進路選択は大きな岐路です。「将来は何科に進むか」という問いは、学年が上がるにつれてじわじわと迫ってきます。多くの場合、その問いに対して「やりがいがありそう」「収入が安定している」「将来性がある」といった観点から答えを探そうとします。しかし、見落とされがちな問いがあります。

「自分は、何に向いているのか。」


希望と適性は、必ずしも一致しません。自分が望む仕事と、自分が得意とする仕事が重なったとき、はじめてキャリアは長く、深く続いていきます。


アメリカの心理学者のエドガー・シャインは、人が仕事を選ぶ際の軸を「キャリアアンカー」と呼びました。専門・職能別能力、経営管理、自律・独立、保障・安定、起業家的創造性、奉仕・社会貢献、純粋な挑戦、ライフスタイル——これら8つのアンカー(錨)は、その人がキャリアの中で「これだけは譲れない」と感じる価値観の核です。


進路を選ぶとき、ぜひ自分に問いかけてみてください。 「どんな仕事がしたいのか(動機)」「自分は何が得意なのか(コアコンピタンス)」「何に価値を感じるのか(価値観)」——この三つの問いへの答えが重なる場所に、あなたの適性があります。


では、総合診療医に向いているのはどんな人でしょうか。 それは、「専門臓器という『窓』からではなく、患者という『全体』を通して医療を見たい人」です。心臓だけ、肺だけ、ではなく——その人の身体、心、生活、家族、社会的背景まで含めて、ひとりの人間として向き合いたいと思える人。
そして、「正解のない問題に対して、最適解を一緒に探すプロセスを楽しめる人」です。総合診療の現場には、教科書通りにいかないことが多くあります。明確な答えのない状況で、患者とともに考え、最善を模索し続けることに、充実感を覚えられる人。


逆に言えば、「明確な専門領域を極めたい」「高度な手技を身につけたい」というアンカーを持つ人は、専門診療科の道がより自分らしいキャリアにつながるかもしれません。それは優劣の問題ではなく、向き・不向きの問題です。


大切なのは、「なんとなく」ではなく、自分の動機・強み・価値観を整理したうえで進路を選ぶことです。
総合診療という選択肢は、地味に見えることもあるかもしれません。しかし、「人を丸ごと診る」という仕事の奥深さと、それが求められる時代の必然性は、年を追うごとに増しています。


まず、自分のキャリアアンカーを探してみてください。その先に、自分らしい医師像が見えてくるはずです。
ただし、キャリア選択は自分の内側だけを見ていれば十分ではありません。 日本は今、急速な高齢化と人口減少のただ中にあります。複数の疾患を抱える高齢者が増え、専門診療科だけでは対応しきれない医療ニーズが、地域のあちこちで生まれています。「どの科にかかればいいか分からない」「かかりつけ医がいない」——そうした声は、すでに社会の現実です。


自分が何をしたいか。そして、社会が何を必要としているか。 この二つの問いが重なるところに、これからの時代に求められる医師像があります。総合診療という選択肢は、個人の適性とともに、社会のニーズとも深く交わっています。


自分のキャリアアンカーを探しながら、ぜひ一度、「社会はいま、どんな医師を必要としているか」という問いも、胸に置いてみてください。

 

地域枠面接の「熱意」を、次の一歩にどうつなげる

― 小さな大学病院総合診療が向き合う、医療経済と教育の構造的テーマ ―


毎年、医学部入試の地域枠推薦面接を行うたびに、身の引き締まる思いと、指導者としての責任の重さを感じます。


18歳の受験生たちは、目を輝かせてこう語ります。 「総合診療医になって、地域医療に貢献したいです」もちろん、その言葉のすべてが、受験生自身の内側から自然に湧き出たものとは限らないのかもしれません。地域枠入試では「地域医療への熱意」が重要な評価軸であることを、受験生自身はもちろん、指導にあたる高校の進路指導の先生方もよくご存知です。面接で語られる「地域医療に貢献したい」という言葉の中に、多かれ少なかれ、そうした周到な準備—いわば『知恵』—が混じっている可能性を、正直、否定はできません。


それでも、その真っ直ぐな想いに接するたびに、心から嬉しく思うと同時に、一つの問いが胸に浮かびます。彼ら・彼女らが6年の学びを経て医師となり、いざ研修や専攻医の選択を迎えたとき、私たちの講座はその想いをどこまで具体的な進路として支えられているだろうか、と。


現実として、地域枠で入学し、当初は総合診療や地域医療を志していた若手医師たちの多くが、臨床実習や研修を経ていく中で、様々な臓器別専門科を選択していきます。それ自体は、自然なキャリア形成のプロセスでもあります。


正直に告白すれば、私自身、この現実にどう向き合うべきか、明確な答えを持てずにいます。保険診療の枠組みを離れ、たとえば自由診療の分野に進むことのほうが、経済的な成功を手にしやすい——これは、今の医療制度の中では否定しがたい現実です。当直や長時間労働の負担、専門性を確立するまでに要する年月を考え合わせればなおのことです。そうした現実を知りながら、目を輝かせる18歳の受験生に、心から「総合診療を選んでください」と言い切ることには、正直、ためらいを覚えます。若者が自らの将来設計として経済合理性を重視するのは、当然の判断でもあるからです。


同時に、もう一つ、心のどこかに引っかかっていることがあります。国公立大学医学部で医師を一人育てるまでには、諸説あるものの数千万円規模の税金が投入されているとされます。卒業後にどの診療科を選ぶかは、もちろん本人の自由であり、その選択自体を否定するつもりは全くありません。それでも、その原資の少なからぬ部分が国民の税金であるという事実を踏まえたとき、「利益を追求するのも職業選択の自由だ」という一言だけですべてを片付けてしまうのは、どこか寂しい気がしてしまう——それもまた、正直な気持ちです。


誤解のないようにお伝えしたいのですが、私はすべての学生に「総合診療医(総合診療専門医)」になってほしいと望んでいるわけではありません。高度な手術を行う外科医になろうと、先端医療を追究する専門医になろうと、それぞれの道で地域に貢献することは非常に尊いことです。


私たちが本当に伝えたいのは、「どの診療科を選んだとしても、人を丸ごと診る『総合診療的なマインド』を根底に持ち続けてほしい」ということです。一つの臓器や疾患だけを見るのではなく、患者さんの背景、生活、心までを含めた「人間」として診る視点。それこそが、将来どんな専門医になったとしても、医師としての価値を決定づける強固な土台(ベースOS)になると信じているからです。


とはいえ、総合診療が地域医療においてどれほど重要で、そのマインドがすべての医師にとってどれほど価値あるものかを、若い世代に肌で感じてもらうための環境づくりは、まだ発展の途上にあります。総合診療の面白さと奥行きを体感してもらうための十分なホスト環境(病床やチーム体制)を大学病院内でどう育てていくかは、私たちが引き続き取り組むべき課題です。


 

実は、この課題は当講座に限ったものではありません。全国のいくつかの国立大学医学部において、総合診療の講座や診療科は同様のテーマに向き合っています。財源がなく専任教員の体制がまだ小規模であったり、独自の病床運用が発展途上であったりするケースは珍しくなく、これは各大学個別の事情というより、日本の医療制度そのものが抱える構造的な背景に根差していると考えられます。


その背景には、「医療機関としての経営(ミクロ経済)」と「社会全体の医療経済(マクロ経済)」の間にある、ある種のギャップがあります。


総合診療は、高額な高度医療機器の駆使や特殊な手技を主とする領域ではありません。丁寧な問診と身体診察、全人的なアセスメント、そして不要な検査や投薬を減らす「適正化」こそが価値となる領域です。現在の診療報酬制度は、こうした価値を単価として反映しにくい構造になっており、高度急性期医療を担う大学病院の経営指標の中では、総合診療の貢献が可視化されにくいという構造的な特性があります。これは特定の病院や経営判断の問題というより、診療報酬体系全体が抱える設計上の課題と言えるでしょう。


一方で、視点を変えて想像してみたいのです。もし自分自身や自分の大切な家族が患者になったとき、私たちは臓器別に切り分けられた重複する検査や、無用な高コスト医療を望むでしょうか。


きっと誰もが、自分の身体や生活、背景までを丸ごと理解してくれた上で、本当に必要な医療を適正に提供してくれる医師(あるいは適切な専門科へ迷いなく繋いでくれる医師)を求めるはずです。患者として本来求める医療の価値と、診療報酬という物差しの上での評価との間にあるこのギャップこそが、私たちが向き合うべき本質的なテーマだと考えています。


国や自治体全体(マクロ経済)の視点に立てば、過剰な検査や重複投薬を防ぎ、重症化前に適切な初期対応を行う総合診療は、膨れ上がる社会保障費を抑制し、持続可能な医療体制を支える、費用対効果の高い医療のかたちの一つです。診療報酬上の単価に表れにくいことは、むしろ医療コスト全体の抑制に貢献している証左でもあります。


こうした構造的な特性があるからこそ、大学病院における総合診療の意義は、いっそう際立つとも言えます。高度専門医療が集積する大学病院だからこそ、患者を点(臓器)ではなく面(全身・生活)で捉え、適切な診断と専門科への橋渡し(ハブ機能)を担う総合診療の拠点が必要とされているのです。大学時代に「人を丸ごと診るマインド」を身体に染み込ませた医師たちが、それぞれの専門科へ、そして地域へと飛び立っていく。それこそが、私たちが目指す地域医療エコシステムの姿です。


面接で「地域医療に貢献したい」と語ってくれたあの受験生たちの熱意を、単なる「入試用の模範解答」で終わらせず、どのような診療科に進んでも生きる「一生モノの視点」として育てていくこと。そのために、大学病院という枠組みの中で、総合診療のホスト機能をどのように確立し、すべての医学生・研修医に「全人的医療のマインド」を伝える持続可能な教育・診療体制を築いていけるのか、私たちは日々模索を続けています。

 


もし全国の医療機関や大学で、この「教育・ホスト機能の充実と経営的持続可能性の両立」というテーマに対して、優れた取り組みやヒントとなる実例をお持ちの先生方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報や知見をお寄せいただければ幸いです。


全国の国立大学が向き合うこのテーマに、唯一の正解はまだありません。しかし、ミクロの経営指標だけにとらわれることなく、マクロな医療の未来を見据えながら、大学病院における総合診療の立ち位置と価値を一つひとつ積み上げていくこと。各地の知恵を持ち寄りながら、未来の医師たちに自信を持って「医療の基本」を渡せる体制を、これからも粘り強く追求していきたいと思います。


こうして泣き言のような葛藤を並べたところで、制度がすぐに変わるわけではないのかもしれません。それでも、私はやはり信じたいのです。経済合理性だけでは測れない何かを求めて、「自分が生まれ育った地域のプライマリ・ケアに貢献したい」と願う学生が、確かに存在するということを。そうした想いに、私たちがどれだけ誠実に応えられる場をつくれるか。それこそが、これから私たちに問われている宿題なのだと思います。