私を変えた言葉10

ある先輩

これは、私を変えた「言葉」ではないのだが、ここで是非紹介したい。

私の小・中学校の先輩に、現在、プロレスラーとして活躍されているYTさんという方がいる(先方は私を覚えていないと思うが。ちなみにリングネームはTM)。

デビュー当初は、地元密着型のプロレス団体に所属されていたため、名前だけは知っていたが、知人から「TMってプロレスラー、同じ中学のYTさんらしいよ。」と聞き、非常に驚いた。

というのも、私の記憶にあるYTさんは、非常に小柄で華奢な人だったのだ。

ただ、プロレスが大好きな方で、よく体育館のマットで同級生とプロレス遊びをしていたのは記憶している。

私はYTさんの自伝(?)のようなものをネットで読み、体が震える程の衝撃を受けた。その内容は以下の通りである。

YTさんがプロレスラーを志したは、小学生の時だったらしい。

当時小柄だったYTさんは、「プロレスラーになるためには身長を伸ばす必要がある」と考え、中学校からバスケット部に入ったそうだ。

念願は叶い、身長は急激に伸びたそうである。

次は、「プロレスラーとしての素地を作る必要がある」と考え、レスリングを始めることを決意したらしい。

そのために、当時、レスリングではインターハイ常連校として知られた某高校への入学を決意する。

当時の学力では合格がおぼつかないことを自覚したYTさんは、周囲が瞠目する程の猛勉強をし、見事合格を果たされた。

そして高校卒業後、プロレス団体の入団テストに合格され、プロレスラーとしての第一歩を踏み出された。

その後、実力もさることながら、独自のパフォーマンスで多くのファンを魅了し、現在の地位を築かれている。

この先は私の勝手な想像である。

YTさんが、将来の夢として「プロレスラー」を挙げた時、周囲から「絶対無理だ」「諦めろ」と嘲笑されたことは想像に難くない。

しかしYTさんは、自らの信念を貫かれた。

そのために、「今の自分に足りないもの」を冷静に分析し、それを補う方法を徹底的に模索された。

勿論、方法を模索したただけでプロレスラーになれたわけではない。

バスケット部もさることながら、レスリング部やプロレス団体での練習は、文字通り「血の滲むような」ものであったに違いない。

ましてや、プロレスラーとして生活の糧を得られるのは、ほんの一握りの限られた人達だけである。

しかしYTさんは、自らの夢と真っ向から対峙し、決して逃げだすことはなかった。

翻って私は、投稿した論文がrejectされたり、申請した研究費が採択されなかった時など、立ち直れない程に落ち込む(要するにメンタルが弱い)。

そんな時、私はYTさんを思い出す。

自分の力不足を受け入れると同時に、「自分に足りないものを冷静に分析したか」「血の滲むような熱意で臨んだか」「研究者を続ける信念があるか」と自分に問いかける。

(YTさんには失礼だが)プロレスラーになることに比べれば、大抵のことができそうな気がしてくる。