私を変えた言葉12

最高の参考書

これは私が中学生の時の先生(誰かは失念)の言葉である。

実は私は、小・中・高校と、国語(現代文)が大の苦手であった。

それを如実に物語るエピソードがある。

小学生の時、夏休みの宿題として、「課題図書を読んで読書感想文を書く」というのがあった。

夏休み明け、クラスで一人ひとり発表していったが、私は、「習っていない漢字が多くて読みづらかったです。」と発表し、担任の先生と同級生を唖然とさせた。

そんな私だが、(幸か不幸か)受験科目に国語がなかったため、何とか大学へ滑り込むことができた。

しかし、その先に待っていたのは挫折と苦悩であった。

定期試験で、「○○について説明せよ。」という問題が出題されると、全く解答できなかった。

頭の中ではわかっているのに文章にできないのである。

3年生位までは、殆どの科目で追試を受けていた。

私もさすがに「このままではまずい・・・。」と危機感を抱いた。

そこで、それまでは「教科書を数回通読する」という勉強法だったが、それを改める決心をした。

まずは、教科書の内容を一字一句ノートに写すという勉強法を試した。

これは労力の割には成果はイマイチだった。

次に、優秀だった同級生のノートを借りてコピーし、それを使って勉強するという方法を試した。

(同級生には申し訳ないが)これは最悪だった。

「このままではいずれ留年してしまう・・・。」と本気で悩んだ。

そんな時、中学生の時の先生が仰っていた、

「自分にとっての最高の参考書、それは自分で作ったノートなんだ。」

という言葉を思い出した。

それまでの失敗から、国語力不足の私には、「インプット」以上に「アウトプット」に重点を置いた勉強が必要だということに気付いた。

そこで私は、教科書の内容を十分に理解した後(インプット)、それを「自分の文章」に置き換えてノートにまとめた(アウトプット)。

試験前には、一字一句に至るまで、ノートを徹底的に読み込んだ(再インプット)。

そして、(自分なりに)試験問題を想定し、答案に記載する要領で再度ノートを作成した(再アウトプット)。

苦手な教科については、再再アウトプットまでも行った。

それから、少しずつではあるが、答案が書けるようになり、(何とか留年せずに)大学を卒業することができた。

その勉強法は今でも継続している。自分の研究に必要な論文や総説は、内容を理解した後、必ず「自分の文章」でノートにまとめている。

その甲斐あってか、研究費の申請書作成や論文の執筆には(今のところ)不自由はしていない。

以前、息子の学習塾の先生が、

「国語がすべての教科の基本です。何はなくとも国語です。」

と力説されていた。さすがは教育のプロ、まさしく至言である。

考えてみれば、孔子は2000年以上前に「学而不思則罔(学びて思わざれば即ち罔し)」と「インプット」と「アウトプット」の重要性を説いている。

大学生になるまで気づかなかった私は、まさに「論語読みの論語知らず」だった。