私を変えた言葉16

ちょっとした差

これは、私が幼少期から大学卒業まで通っていたピアノ教室のO先生(故人)の言葉である。

実は私は男性にしては手が小さい。大きく手を広げても親指と小指がやっと1オクターブ届く程度である。

そのせいもあり、私はどうしても親指の側面で鍵盤を弾く癖がついてしまった。

O先生は幾度となく親指の先で弾くよう指導したが、一度染みついた悪い癖はそう簡単には抜けなかった。

そんな私をO先生は、「基本を疎かにして、自分のやりやすいように弾いていると、今はいいけど後で困るよ。」と諫めた。

そして、「ちょっとした差が、後々に大きな差になるんだよ。」と付け加えた。

徐々に難しい課題曲を与えられるにつれ、私はその言葉の意味を痛感することとなった。

親指の側面では和音が上手く弾けないのである。

私が挫折するのを見越したのか、O先生は難易度の高い課題曲を与えることが少なくなった。

ちなみに、ピアノ教室を辞める私にO先生が最後に与えた課題曲は、ショパンの「別れの曲」であった。

それから15年後、私は母を介してO先生の訃報に接した。

乳がんの全身転移だったそうだ。

その年の夏、帰省した私はO先生のご実家へ赴き、仏前に手を合わせた。

ご家族によると、O先生は骨転移の痛みをこらえ、浮腫で腕が倍以上にむくんでも、病床に伏す直前まで門下生へのレッスンを続けられたそうである。

その話を聞き、私は涙が止まらなかった。

O先生からは、ピアノだけでなく人生そのものを教わった気がする。