私を変えた言葉11

これだけでいいんじゃないか?

これは、私が学部生の時の指導教官であったS教授の言葉である。

今から20数年前、私は卒業研究のため、S教授が主宰する獣医微生物学講座に配属となった。

S教授のご専門は、食中毒菌の一種である黄色ブドウ球菌やセレウス菌であった。

(ちなみに、S教授のボスは日本のボツリヌス菌研究の黎明期を支えた高名な先生とのことである。)

折しも、腸管出血性大腸菌O-157が社会問題となっており、S教授は厚生省(現 厚生労働省)の対策班班長へと抜擢された。

そんなこともあり、講座のテーマは腸管出血性大腸菌へと大きくシフトし、私もその「うねり」の中へと巻き込まれることとなった。

(研究内容に関しては、“私を変えた言葉 9をご参照いただきたい。)

ある日のこと、S教授より、

「今度、腸管出血性大腸菌に関する市民セミナーを行うんだ。兼平君、悪いがセミナーの題名を考えてくれるか?」

と依頼があった。

一介の大学生である私のとって、この依頼は非常に重責であった。

私は一晩悩んだ挙句、郷土岩手の偉人である新渡戸稲造氏の「われ太平洋の架け橋とならん」という有名な言葉にヒントを得(パクり?)、

「われ動物とヒトの架け橋とならん」

という題名に決めた(今考えると恥ずかしいが)。

翌日、それだけでは抽象的すぎて内容が伝わらないと思い、(ほんの数秒)適当に考えて、

「O-157と奮闘する獣医師たち」

というサブタイトルをつけた。

恐る恐る教授室をノックし、S教授へ題名(案)を提出したところ、S教授は「う~ん」と数秒考えた。

そして、おもむろにサブタイトルを指さし、

「これだけでいいんじゃないか?」

と仰った。

私が一晩必死に考えた案が却下され、ほんの数秒、適当に考えた案が採択されたのだった(※)。

これだけであれば、「よくある失敗談」と一笑に付すところだが、これに類する経験が私の人生では多々ある。

その1つの例を挙げたい。

私が研究者として常勤のポジションを得たのは38歳の時であった。それまでは、非常勤の研究員として糊口を凌ぎつつ、job huntingに奔走した。

(“私を変えた言葉 8"はその時の経験である。)

当初、「基礎医学の研究者です。(一応)獣医師免許も持っています」とアピールしていたが、連戦連敗であった。

ところが、「獣医師免許を持っています。(一応)基礎医学の研究者です」とアピールの仕方を変えたところ、驚く程すんなりとポジションが得られた。

そして現在、獣医師として実験動物の分野に軸足を置きながら、基礎医学の研究も継続している。

私はこれらの経験から、

「自分の頭の中にある優先順位は、必ずしもそのまま世の中に受け入れられる訳ではない」ということ、そして、

「時には優先順位を入れ替えることで、予想もしない新たなブレークスルーが生まれる」ということを知った。

※付け加えると、S教授は学生の資質を見抜き、本人のレベルよりも「少し上」の課題を与えられていた。

学生は、「自分も(一応は)研究室の戦力なのだ」とモチベーションを高め、S教授の期待に応えようと努力した。

S教授は、「結果」もさることながら、学生が必死に取り組む「姿勢」も評価されていた。

私はそんなS教授を心から尊敬していた。