山梨大学医学部免疫学講座
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今月号のJ Allergy Clin Immunologyにfilaggrin k/oマウスは皮膚からの抗原感作に感受性が高く皮膚炎を起こしやすいという論文が載っている。この論文を含め、既にほぼ間違いないのは、皮膚や気道、腸管のバリア機能の破綻は、アレルゲンの透過性や免疫原性を高めて、アレルギー疾患の原因になるということである。すでにウイルスやタバコ、ある種の化学物質とアレルギー疾患との関係はよく知られており、おそらくそれらの因子による上皮バリアの破壊が、アレルギー疾患の発症に直結しているのだろう。
アレルギーは免疫系の過剰反応と教科書的にはずっと言われていたが、このモデルだと、免疫系は、バリアを破って侵入してきた環境由来の外部抗原に対して正常に反応しているだけである。結局、どうしてバリア破壊がTh2タイプの免疫応答を選択的に惹起するのかがこのモデルにおける次の大事な問題である。
僕らは、JACI(2008年)の論文でタバコによる気道上皮損傷がTSLPを産生させTh2反応を惹起し気道炎症を引き起こすことを既に報告した。だからTSLPが(IL-25やIl-33でもいいが)どんな条件下でどんな細胞内分子機構の活性化によって産生されるのかを解明することが今後、非常に重要だと考えている。
ただし、このモデルは単純すぎて、例えば、Treg欠損症における高頻度のアレルギー疾患の発症を説明できない。免疫学的には、体内における免疫系制御のバランスの破綻によるアレルギー発症のメカニズムを解明することのほうが、謎が多くより魅力的に見える。
他のサイトカイン群とTGF-βが大きく異なる点は、TGF-βは、非活性型(潜在型)として体中の臓器、組織、血清中に常に高濃度(-ng/mlくらい)で存在しているという点である(よく知らないが、逆に、TGF-βの発現がまったくない臓器/組織ってあるのだろうか?あったらあったで興味深い)。つまり、ヒトの体の細胞は、神経細胞であれ、上皮細胞であれ、免疫細胞であれ、潜在型TGF-βをいっぱい含んだ海の中に住んでいるようなものである。したがってTGF-βによるこれらの細胞の調節機構の本質は、それぞれの局所において、潜在型TGF-βが活性型に転換されるしくみを理解することであると言い換えられる。
しかしながら、実は、生体内で潜在型TGF-βが活性型に転換されるしくみはもとより、どのようにしてTGF-βの恒常的な産生が各臓器や組織で行われているのか、という点も、これまでまったくのブラックボックスである。
僕の現在の関心は、この制御機構について知りたいということである。
タンパク質である以上、いくら半減期が長かろうと、生成と分解によるバランスによってある程度の産生量が維持されているわけであり、恒常性を維持するなんらかのしくみが必ずあるはずである。かつTGF-βの恒常的な産生がさまざまな臓器/組織で共通であることから、そのしくみはかなり普遍性があって単純なものと想像される。
この問題は、いろいろな意味で重要である。例えば、腸管粘膜免疫の分野では、いま、腸管粘膜において、TGF-βをT細胞に供給する細胞やしくみが何か、というのが大きなナゾの1つである。これは経口免疫寛容という不思議な現象を解き明かすための大切な鍵である。経口免疫寛容の破綻が原因である食物アレルギーの発症の理由について考えるヒントも与えてくれるかもしれない。また、肺や肝臓、皮膚などの線維化による疾患(喘息のリモデリング、肝硬変、ケロイドなど)、様々な炎症性疾患、骨疾患、さらには、癌の発生や転移の発症機構や予防/治療を考える上でもとても重要だろう。臓器や組織に存在するTGF-βの量を人為的に制御することによって、それらの疾患の予防や治療が、将来、可能となるかもしれない。とくに予防医学への貢献度が高そうである。もちろん、その次には、どのようにして、生体内で潜在型TGF-βの活性型への転換が制御されているのか?という超難問が待っているのだけれど。
日本とフランスにおける30-40代の研究者が先端科学の進展についてDiscussionするという極めてユニークなシンポジウムに参加した(日本学術振興会とフランスのCNRS:
Center National Research Scienceが主催)。
3日間、素粒子物理、燃料電池、地球外生命、暗号(コンピューターサイエンス)、脳科学、センサー、免疫など現在のサイエンスのトピックについて各分野の専門家が意見を交換した
参加した一番の収穫は、医学関係以外の人と、ホテルと会場の往復缶詰、“どこにも遊びに行かせないぞ”、状態のなかで、とても仲良くなれたことだった。普段接する機会がない他分野の専門家の人たちの問題意識や医学に対する認識を知ることはとても新鮮だった。また観測を主とする天文学者は世界を放浪するのが仕事だったり、エンジニアは政治や経済に明るかったり、数学者も仕事探しとセンター試験の監督に苦労するただの社会人だったりと、意外な側面も知り親近感がわいた。自分の研究(アレルギー)に対する新たなヒントも彼らの素朴な疑問を通して見つけられた気がする。
ロスコフという町は、静かで、お店もなく、かつタイトなスケジュールでお土産を買う時間もなかったけれども(たぶんもう二度と行かないだろう)、シンポジウムそのもの、(および多分それ以上に)滞在ホテルでのランチやディナーでの会食を通じて、日本では味わえないとてもよい時間が過ごせたと思う。シンポジウムの成功は、あくせくせず気楽で自由なフランスの雰囲気に逐うことが大きかったと思う(詳細は書けません)。来年は、日本開催とのことだが少し心配である。(平成20年2月1日)
最近、読み終わったら立てないくらい打ちのめされた論文を立て続けに数報読んだので、何に感動してしまうのか、(はっきり指摘できるものでもないだろうが)少し分析したい。
1 タイトルの付け方がすばらしい。抽象的なメッセージと具体的な結論とのミックスの仕方が絶妙である。
2 研究目的が、真にオリジナルであり、にもかかわらず理にかなっていて誰もが(たぶんその分野の素人でも)うなづけて、シンプルで明快である。その目的(疑問)を見つけたこと。
3 イントロダクションに>著者独自の考えによるその分野の要約がされていて誰かの論文のイントロをコピーペーストしてるわけでない(深く反省)(;;)
4 データが多い。これでもかこれでもか、と伝えたいメッセージを証明しようとしている。証明する実験方法の種類も多彩である。性格がねちっこくならないとだめである。
5 全体が、ミステリーのようなストーリー仕立ての構成になっていて、しかもその構成が少なくとも3幕以上ある。よって自然に論旨を追え次のデータが見たくなる(疲れるが)。また尻切れとんぼにならず読み終えるとある種の満足感が得られる。
6 ディスカッションでは、著者のその分野に対する深い知識、造詣が読み取れる。もちろん結果の解釈を様々な角度から考察するのは当然である。読んでいて著者が目の前にいる気分になる。
7 英語表現が明快、絶妙な単語や文章を使っていてすばらしい。(これはちょっと日本人にはきつい)
以上、当たり前のことだったかもしれないが、参考にして次の論文はちゃんと書きたい。
Keystone Symposia: Allergy, Allergic Inflammation, and Asthma (April 6-11, 2006, at Beaver Run Resort, Breckenridge, Colorado)
今回は初めてスキーをした。スキー場のお兄さんを相手にああだこうだ言いながら(靴のサイズをcmで言っても通じないのである)ようやくスキーを借りて、やれやれと思ってリフトに乗ったとたん、<線路は続くよどこまでも>のメロディーが頭に流れた。前方を見るとリフトは山の頂まで気が遠くなるまで延々に続くのである。当然ながら、帰りのスキーも、地獄であった。距離が日本のスキー場の10倍くらいあるのに、おだやかなダウンヒルかと思ってると突然、急勾配になったり、道がいくつも分かれてたり、といっためくるめくバリエーションに、本当に目がまわった。10回以上は転んだが(もともと下手なのだけど)、その度に出発地点にもどれるのだろうか、と何度も不安に襲われた。さて、シンポジウムである。Genetics,
Innate Immunity, Regulatory T cell, Th2 responses, effector cellsといった様々な視点から、アレルギーを解き明かそうという趣旨で構成されたプログラムはすばらしい情報を我々に与えてくれた。とりわけ、今後のアレルギー研究の基本的な方向性として、アレルギーは感染と密接な関係にある、ということを強く感じた。アレルギーの発現には(も?)感染がもっとも重要なイベントであり、上皮細胞によるバリア機構の障害とそれに続いておこる自然免疫応答が鍵であることがいくつかの報告から強く示唆された。今回の報告を聞いていると、楽観的過ぎるかもしれないが、数年のうちに、アレルギーは自然免疫応答のメカニズムの1つして理解され、臨床的にもほぼ克服されるだろうと思われた。ある意味やや特殊な反応として扱われていたアレルギーが免疫の本質にちゃんと組み込まれ理解される時が近いということかもしれない。
個々の講演では、Kim Bottomly, Bart N Lambrechetによる吸入抗原に対する肺の樹状細胞の役割についての話は圧巻で吸入アレルゲンによる樹状細胞応答からTh2応答への流れが非常によく理解できた。残された課題は、アレルゲンが樹状細胞の活性化(あるいは非活性化:トレランス)を起こすまでの仕組み(アレルゲンそのものの性質や上皮細胞の役割など)の解明にあるのだろう。またDale
UmetsuによるNKT細胞こそが喘息における主要細胞であるとの主張は、真実であれば喘息の概念を再び変えるかもしれない。さらにTSLPやChitineといった分子はT細胞なしに肺好酸球浸潤を惹起できることなど、新しい形のアレルギー性炎症の形成なども報告されエキサイティングだった。あと、TGF-βとアレルギーの関係に興味がある人が少なかったのは(いつものことではあるけれでも)少し寂しい気持ちであった。早くみんなその重要性に気付いてください(笑)。
さて、日米のスキー場の違いは、当然、日米におけるスキーの概念の違いに結びつくだろう。箱庭的な日本のスキー場では、スキーの仕方もたいして違いがなくなるしあっというまに滑り終えてしまう。ダイナミズムとは無縁である。一方、アメリカのスキー場の広さは、スキーのディテイルや他の人の滑り方なんてまったくどうでもよくしてくれる。まず、ふもとまでおりるのが大変なのである。自分に向きあうしかないではないか。こちらのほうが本当のオリジナリティーや、強い覚悟が生まれるに決まっている。なんか少し日米のサイエンスを取り巻く環境の違いに似ている。
最後に、たわいのない会話のなかでいろいろな示唆を与えていただいた参加者の善本先生(兵庫医大)、玉利先生(理研)、出原先生(佐賀大)には感謝感謝でした。今回の学会に参加している人がreviewerとなるような雑誌に論文をのせるのはやはり並大抵のことではないと思えた。
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大晦日、紅白歌合戦を最初から最後まで(正確にはドリカムが終わるまで)見ていた。一番見てよかったと思えたのは、絢香だった(ファンとしてはパーフィームもよかったが、、、)。たとえエンターテイメントであっても、リアルで自然な姿勢が一番心をうつと思った。でもやっぱり格闘技やスポーツや科学のリアルさには勝てない気がする。
山梨から持ってきたはずのスニーカーが片方ないことに、東京にもどって気がついた。あわててオオヌマさんに、“官舎の周辺にニューバランスのスニーカーが落ちてたら拾っておいてください。私のです。”と書いてメールした。すると “もしかしてグレーの片方ですか?(笑)”と即レスだった。“そうですm(- -)m”と送ったら、“階段の3階に落ちてました。今拾ってきました(笑)。教授室においておきます。”と返事がきた。もつべきものは、同じ官舎に住む有能な事務官である。それにしても、今年は、最後まで公私にバタバタした一年だった。
ドタバタと誰かが廊下を走る音がして教授室のドアが強くノックされたと思ったら某S先生だった。
以前にも書いたけど、研究上で、きれいなポジティブデータが出るのは、宝くじに当たるようなものだ。特に、マウスを使ったインビボの実験だったら、300円とかじゃなくて100万円くらいの配当金の価値はある。だからポジティブデータが出たときは、論文としてまとめられるように、さらにアクセル全開して実験しなくてはならない。いずれにせよ、きれいなポジティブデータを得たときの興奮と、論文がアクセプトされたときの達成感が、研究をドライブするモチベーションである。そのためには、長くて苦しい潜伏期間が必要なのは当然である。ただし、S先生もネガティブデータばかりだったから嬉しいのはわかるけど、内容を考えると、今回はちょっと騒ぎすぎ(笑)。
自分でプロバイオティクスの研究もやっていながら、でも本当にプロバイオティクスで、アレルギー疾患とかクローン病とか予防できるのかなあ、と内心ずっと懐疑的だったけど、このシンポジウムで英国のNicholson博士とかベルギーのCani博士らの話を聞いていたら、絶対できる、と思えた。ここしばらくは腸内フローラと宿主(とくに免疫系)との相互作用は目が離せない感じになりそうだ。完全に洗脳され、シンポジウム後の数週間、毎日ヤクルトやらヨーグルトやら大量に飲んだり食べたりしていた。おかげで太った。
千葉県安房鴨川の早稲田のセミナーハウスで早稲田の柴田先生の研究室と、うちの小泉先生の研究室(薬理学講座)と合同でゼミ合宿をした。それぞれ微妙に異なるけど、お互いにまあ理解できる範囲の研究テーマをやっていて、かつそれぞれがこれから共同研究していくので、とても勉強になる有意義な合宿だった。研究内容だけでなく、医学部の学生と早稲田の理工学部の学生のカラーは大分違っているので、彼らにとっても研究の進め方とかセミナーでの質問の仕方とかの違いがよい刺激になったと思う。ところで、早稲田の学生ののりにつられ、夜の懇親会で、“好きなタイプは戸田恵梨香でーす”とか挨拶したおじさん(僕のこと)は、彼らの目には、どう写ったのだろうか(汗)。
この夏、ここ数年間やってきた“経口TGF-βとアレルギー疾患”についてのレビュー(総説)を念入りかつできるだけ客観視した視点で書いてみた。自分の中では、「なんてすごいレビューなんだ。これが読まれたらみんなTGF-βをいっぱい食べよう(飲もう?)と思って、世界が大騒ぎになるかも。」と思って興奮し(どこが客観視だ)、”Nature Review Immunology”に原稿の投稿をプロポーザルしてみた。一週間後、その話題はあまりにフォーカス(too focused for our readership)しすぎているという断りの返事がきた。うーん、まだ納得できると思って、”Trends in Immunology”にプロポーザルしてみた。一週間たっても返事が来なかった(汗)。まあ確かに基礎のimmunologyの総説向きじゃないからいいか、と思ってプロポーザルを撤回し、臨床系の雑誌”Allergy”に原稿を送ったら、翌日low priorityと言われてリジェクトされた。「low priority!!!どこがlow priorityなんだ、馬鹿野郎、お前らこの価値がわからんのか、二度と”Allergy”には送らん」と怒りが収まらなかったが、気を取り直し、現在、“Clinical Experimental Allergy”に投稿中である。数日では戻ってこないから、ちゃんとレビューはレビューされてるみたいである。やれやれ。
バーミヤンで、3人(私、娘、息子)で、夕食(18時頃)中の会話。
*注:家内はバーミヤン嫌いなので不参加
息子(豚ニラ焼き肉ご飯食べながら)「あっ、今日って父の日じゃん」
娘(冷やしタンタン麺食べながら)「私は、覚えてたけど、、、」
私(キムチチャーハン食べながら)「今、言ってどうすんの?」
息子(餃子もつまみながら)「あー、言わないほうが良かったね」
以上で今年の父の日は終わりだった。
テレビで解説者が“日本はサイドを使わなきゃ”って繰り返し言っていた。それはそれでいいんだけど、サイドにボールがいっても、頑強な相手ディフェンスにいつも同じようなスピードとタイミングのクロスをあげていて、アイデアのかけらもないので、サイド攻撃の意味が全然なく、日本には点が入る予感がまったくなかった。逆にオーストラリアのケーヒルには危険な匂いがプンプンしていて、やられそう、と思ってたら、案の定、ゴールを2度も決められた。研究も一緒で、言われたことを、言われたとおりにしかやらない人には、ポジティブデータが出る予感がまったくしない。ケーヒルみたいなゴールへのハングリー精神(研究者として生きていかなきゃ、とか)と、俯瞰して考える力があるかどうかが、ほんのちょっとの考え方の問題なんだけど、結構大きく結果を左右してしまう。
週末、家での会話
娘:「お父さんに似て、顔がでかくて嫌だなあ」
私:「…….」
息子:「いや、人間、顔じゃないよ」
妻:「さすが、アツシ、人間やっぱり中身だよねー」
息子:「いや、人間、髪型だよ」
(一同爆笑)。
*そう言えば、彼は、一人だけ、原宿の美容院に、お金を貯めて通っている。
平成21年度に申請していた科研費が無事当たってホッとした。
ウチのような小さな研究室では、科研費の採択は、即、死活問題である。国立大学法人化後、研究費獲得のための、競争が激しさを増している中で、一番不公平に感じるのは、大きなエスタブリッシュされたラボが重複して(教授とそれ以外のスタッフとか)公的及び私的研究費を獲得していることである。このあたりは、principal investigator (PI)制度が曖昧な点(若手研究者が本当の意味で独立できない)に起因しているとは思うけど、他の(国の)予算みたいに、1つの講座が得られる研究費の総額を抑制して欲しいと思う(税金の無駄使いも減らせるし)。既に有名な研究者を、いっぱい支援してどうするんだろう。なるべく広く多くの新しいアイデアをもった無名の研究者に研究費を配分することが、日本の研究の底辺を押し上げると信じる。地方大学の1研究者のひがみかもだけど(- -);。
週末、救急医を志望する高校生の息子を連れて、映画“ジェネラルルージュの凱旋”を銀座に見に行った。日本の救急医療の現状と問題点、救急医療の根底にある基本的な理念(“助けられる人をできるだけ救う”という当たり前のことです)を、見事にエンターテイメントにしていて感動した。改めて、ドキュメンタリーや映画といった映像作品が持っている力の大きさを認識させられた。分野と表現方法は違うけど、このくらい完成度が高くて、社会の矛盾(生命現象の謎?)に言及し、読んだ人の気持ちを動かせるような科学論文を書きたいなと、隣で唸っている息子を見ていて、心底思った。でもエンドロールに出てくる映画製作に関わった人たちの数を見てたら、学生が100人いて、予算が一億円はないと、無理かもな、という気も少しした(笑)。
2月14日東京で行なわれた山梨大学/早稲田大学連携事業のシンポジウムで発表した。山梨大学にとって、とても大事な事業できちんと成功させなくてはならないというプレッシャーはあるけれども、理工学系の研究者の人と新しい発想で研究に取り組めるのは嬉しい。早稲田の施設は抜群にきれいだし、学生も山梨大学とは異なるカラーでこれからが楽しみである。懇親会を終えて、家に帰ったら、テーブルの上に、高級そうなチョコレートの空箱と包み紙の残骸が散らかっていた。おそらく家内が息子にあげたチョコレートを二人で食べたと思われた(泣)。そういえば、今年は娘からももらっていない(大泣)。まあ懇親会で山梨大学秘蔵のワイン飲んだからいいか。
(と、書いた文章を事務のオオヌマさんに送ったら、私があげたじゃないですか、と怒られた。)
朝、娘を駅まで送ったあと、時間があるときは、病院前のスタバに行ってコーヒー飲みながら論文読んだり、実験について考えたり、ただドーナツ食ったりしている。この時間が結構有意義である。あまり頻度は多くないけど、時々論文読みながら、すごい(?)実験のアイデアが思いついて、興奮のあまり、その日一日中ハイテンションに(僕にしては)なるときすらある。こういうときはさっそく大学院生を捕まえて実験計画話して “インフルエンザさっさと治して実験してね”(実話)となる。大学院生はいい迷惑だけど、僕的には、“その結果を見るまで死にたくないなあ”と思えるワクワクした時間をしばらく過ごせるのである。ちなみに、スタバのお姉さん達とは、すっかり顔なじみで、頼まなくてもカフェミストが出てくる。(注:インフルエンザのくだりはお互い笑顔の中での会話です。大学院生希望者が減ると困るので念のため。)
年末に、池袋のジュンク堂に行ったときに、「オバマ大統領生演説CD」がいっぱい平積みされていたので、なんとなく買ってしまった。けっこう売れてるらしい。この年末年始に車の中で、聞いてみたけど、泣ける(汗)。特に、大統領選挙の趨勢が決定したあとのシカゴでの勝利演説は、ほんとに卓越してる。普通の白人大統領が言っていたらそれほど感動的ではないのかもだけど、史上初の黒人大統領が語るアメリカの歴史や未来は、ほんとに説得力に満ちあふれていてポジティブで熱い。アメリカの未来は(たぶん)明るい。 僕らの研究室でも、Yes, We Can (get our papers accepted in Nature?)を合い言葉に今年もがんばりたい。
優秀な学生や研究者はどこが違うか?というと結局、実験する量が圧倒的に多い、というみもふたもないことに尽きると思う。頭がいいにこしたことはないけれど、データを出してなんぼ、という実験科学では、実験すればするだけポジティブな結果が得られる確率が高くなるし、失敗が多いほど、実験の意味やポイント、実験の恐さに普通の頭の人でも気づけるんだと思う。とにかく、絶対、量をこなさないと質に転換しない。ということで、1回や2回ネガティブデータが出たからといって、めげないでもっといろんな工夫をしつつ実験しよう!(P.S. 量が質に変わらない人は何かが間違っているはずだから相談しましょう。)
研究で(たぶん)大事なことの1つは、研究上の疑問(目的)を、どれだけ速くかつ合理的に実験で解決するか、ということと思っている。最短距離で攻略しないと競争相手に負けてしまうし駄目なら違う方向にさっさと方針を切り替える必要もある。長い間この習性を続けていて短気かつ妙に理屈っぽくなってしまい日常生活ではあまりいいことはない(特に妻とはあまり論理的な話は難しい)。昨日の試合も、日本チームはゴールを速く決める気がないので、見ていてイライラした。
夏休みの始めで、かつ3連休という最悪のタイミングで参加した。何も考えずに予定を決めてしまう私の悪い癖で(ここしか参加できる日がなかったんだけど)、家族にブーブー言われながら出発した。1日目、様々な方法で(内緒)、高地に体を慎重にならし、2日目、予定通り、生まれて初めて富士山山頂にトライした。が、、、、これが地獄の始まりだった。
8合目から山頂まで距離にして約2キロ、たいしたことはないと思っていたのが大間違い、100メートルも進まぬうちに、息が苦しく足が前に出なくなった。3分の1くらいきたところで真剣に引き返すことを考え始め、半分くらいのところで救護所のスタッフが救助されたらシャレにならない、と思い始め、3分の2くらいのところで、もうここで死ぬ、と覚悟した。幸い、山頂に近づくにつれて吹き始めた涼しく心地よい風に後押しされ、なんとか山頂の鳥居(アルバム写真参照?)をくぐることができた。あー、論文のリバイス出す前に死なないでよかった。富士山(高山病)恐るべし。山頂の富士浅間神社のお守りは高かったけど感動のあまりつい買ってしまった。(もちろん救護所の活動も無事こなしました。)(平成20年7月22日)
どーでもいいけど
とにかくボールをとったらすぐゴールを目指して欲しい。パスの選択肢とか、頭で考えてる暇なんかないから(その間のコンマ数秒でボールとられちゃうし)、体っていうか本能的に反応してほしい。日本代表の問題は、技術じゃなくて、根底にはゴールに対する執着心の問題とスピード感覚の違いがある気がする(既に言いふるされてるけど)。ゴールエリアで躊躇するシーンはほんとに嫌いです。新しい日本代表を早く見せて欲しい。日本サッカーは日本の政治、経済、サイエンスの縮図です。
周知のように今年は日本人4人が物理と化学の分野でノーベル賞をとられた。みな30-40代での業績なので、今後20年、日本がサイエンスの分野で世界に貢献できるかどうかは、現在の40代以下の人たちの中に将来ノーベル賞をとれそうな発見をしている人がどれくらいいるか、という話になると思う。
私の専門である医学分野では、iPS細胞の京大の山中先生がその筆頭かと思うけど、他に続く人がいっぱい出てこないとなあ、と思う(50代には阪大の審良先生とか京大の坂口先生とかいっぱいいる)。娘とこのニュースをテレビで見ていたとき、
“お父さんは、この流れに乗っていないのかあ?”と言われて思わず苦笑してしまったが、笑い事ではないので、ちゃんとノーベル賞を狙って(?)(ノーベル賞級の課題に取り組むように)研究したい。
単身赴任なので毎週末、山梨/東京間を車で往復している。特に東京へ帰るときは週の疲れがどっと出て眠くて危ない。眠気防止に、いろいろ試してみたが、最近は、フルボリュームでパフィームのアルバムをかけながら運転することにはまっている。無機的だけど軽快なサウンドが妙にドライブにあう。頭の中が無になって“チョコレートディスコ”とか変なリフレインを知らずに口ずさんでいることが多い(- -);。まだ正気があるときは、このアキバ系のテイストを自分の研究に出すにはどうしたらいいか、とかボーっと考えたりしてる。
誕生日だったので奮発して某3つ星レストランに妻と行った。自分の誕生日なのに支払いは自分持ちなのが解せなかったが、料理のアイデアはものすごく研究の参考になった。例えば
1 オリジナルな料理を一度解体して本質的部分だけで料理を再構築すること
2 まったく新しい素材を使って、既存の料理をつくってみること
3 従来使われている素材を使うけども、その調理法(火の通し方など)を工夫して既存の料理をつくること
いずれの場合も新しい料理が既存のものより美味しくならなければダメなのはもちろんである。とにかくオリジナルな新しい料理を作るんだという哲学がすごかった。ほとんど研究と同じだと思って感動して帰宅した(途中酔っぱらって気持ち悪くなったが、、、)。
今日は休みだったので朝からスタバでコーヒー飲みながら喘息における炎症とリモデリングの関係に関する総説(Broide DH. J Allergy
Clin Immunol 121:560, 2008)をゆっくり読んだ。ちょっと優雅な気分だった。
さて、その総説はすごくよく書けていて大変勉強になったけれども、炎症とリモデリングの概念的な関係を知りたい、という根底にあるテーマは、なんとなく腑に落ちなかった。両者が独立した概念であるかとか、一方は他方に依存したものであるとかいう議論は不毛な気がした。そもそも炎症しかない喘息、リモデリングしかない喘息っていうのは、あり得ないのではないだろうか?
ここ数年の免疫学の進歩(自然免疫系の解明や新たなT細胞分化経路の発見など)があらためて教えてくれたことは、免疫系は病原体から我々の体を守るために高度に進化した精巧でとても合理的なシステムだということである。
アレルギー反応も生体防御反応の1つであるから、炎症はともかく、その表現型の1つであるリモデリングも外からきたあるいは外にいる病原体(ダニや寄生虫)から身を守るしくみの1つはずである。
だからアレルギー研究の正しい方向は、アレルゲンや寄生虫がどうして生体に選択的にTh2タイプの炎症反応やリモデリング応答を惹起させるのか?を明らかにすることだと思う。具体的にはダニや花粉、あるいは寄生虫抗原が上皮細胞や間葉系細胞、免疫担当細胞にどのように認識され、どのように選択的にTh2タイプの炎症反応やリモデリング応答を惹起するのか、を調べることが重要だと思う。
“認識”の部分のベースは、PAR2や(細菌、ウイルスなら)TLR/Nodとか、かなりわかってきているので“認識”の修飾とか、“認識”後の上皮細胞や間葉系細胞の応答について我々は特に調べたいと思う。特にTGF-βが発現あるいは活性化するしくみがとても気になる。ともかく、リモデリングの概念は、複雑化しすぎている。だから、僕らは、炎症とリモデリングの概念を統合したより単純なモデルをここ数年で提唱(データが出ればの話だが)できたらと思う。
日本アレルギー協会山梨地区主催の患者さん向けシンポジウム(2月17日)に出て、研究のきっかけのはずだった素朴な疑問を思い出した。忘れないように書き記すと、
1 乳幼児は食物アレルギーにどうしてなりやすいのか?
2 年齢を経るにつれて食物アレルギーが治る子が多いのはなぜか?<li>逆に成人になってきて魚介類などにアレルギーになるのはなぜか?
3 多種類の食物アレルゲンに反応していく子がいるのはなぜか?
4 食物アレルギーによるアトピー性皮膚炎の機序はどうなっているのか?
5 食物負荷試験をしなくても食物アレルギーを診断する方法はないのか?
6 食物除去以外に積極的に食物アレルギーを治療/予防する方法はないのか?
7 喘息による気道の炎症はどうしておこるのか?<li>喘息を本当の意味で治すことはできないのか?
8 リモデリングは慢性気道炎症の2次的変化か?リモデリングを治せば喘息も治るのか?
等々。
以上の問題を解決して患者さんへ正しい情報を提供できるようにしたい。上記の疑問を持つ人はぜひ一緒に研究しましょう。このようなシンポジウムは基礎研究の現場では見えない患者さんの顔や声を実感することができてとても有益な機会だった。でもこうして書くと、あらためて、アレルギーはほとんど何もわかってないことがわかる。
1 腸管で活性化されたTGF-βシグナルはどこにどう作用するのか?粘膜樹状細胞が標的?
2 ビタミンAや他の食物含有成分との関係
3 腸管内常在菌との関係
4 胃における作用
5 制御性T細胞、Th1、Th2、Th17細胞分化との関係
6 腸管内環境との関係
7 Toll-like receptorシグナルとの関係
8 血中TGF-β濃度上昇の意味
9 腸管に恒常的に発現しているTGF-β2との関係
10 治療効果
などなど
講義をとてもエキサイティングに楽しくするポイントは、“新しい考え方をわかりやすく提示してあげる”ことだと思う。でも新しい考え方を毎回提示するような授業をするためには、その学問が絶えず進歩していなくてはならないし、教える方もその進歩に常に追いつき、時には自身の考えが追い越していくくらいじゃないとダメである(実際、自分のセミナーだったらこれがないと話にならない)。その意味で大学の教員にとって一番大事なことは、教え方も確かに大切ではあるけど、自分がいつも先端的な研究を続けて世界と戦っていることだと思う。
NHKプロフェッショナルという番組で、国立大学合格者を100倍にした京都の市立高校の校長先生の話をやっていた。その鍵は、生徒の“知りたい”と思うことを自由に追求させることだった。自分の“知りたい”を追求する過程で生徒は自発的に勉強の面白さに目覚めていくのである。ほとんど研究者の世界である。つまり、「研究的姿勢」っていうのが教育の本道かつ王道であることが、よくわかって意を強くできた。また、もっと頑張らないと、我が大学/大学院は高校にも負けていると思った。あと、僕が“知りたい”のは、どうしたら、何かを“知りたい”と思ってくれる生徒を育てられるのか、という点だったが、そこは放送されていなかった。
基礎研究棟4階フロアー連合軍の4番サードで出場させてもらった。試合は施設・環境部チームに18対7で負け、自分は4打数1安打1打点と納得できない結果に終わった(泣)。特に娘の前でのエラーは悲しかった(大泣)。昨日、プレーオフでインディアンズに負けた松坂の気持ちが痛いほどわかる。レベルは百万倍違うが悔しさは一緒である。なんか野球と研究は一緒だなあ。まあ楽しめればいいんだけど。
自分が以下のどのレベルか、よく見極めて、レベルがあがるように頑張ろう!!
レベルマイナス:言ってもやらない(;;)レベル0:言われたことはやる。(でも失敗したらそのまま)
レベル1:言われなくても、自分のできる範囲だったら、考えて実験できる。(失敗しても、自分で工夫して修正実験ができる。
レベル2:自分のプロジェクトや実験(結果)を、第三者的に評価できる。(まだまだ駄目とか、結構いい線いってるとか、判断できる。)
レベル3:自分で遂行可能なオリジナルなアイデアをだして実験できる。
学部生ならレベル0でもいいけど、大学院生なら、レベル2くらまではいかないと。大学院出てる人はもうレベル3で自立してないと駄目です。(本当を言うと、アメリカだったら、大学院生は皆レベル3です。自分で考えることが身に付いているかどうか、自分を俯瞰して見れるか、独自のアイデアを生み出せるか、は、別に研究に限らずどの分野でも現代社会では必須です。
何かの本で読んで、今でもすごく記憶に残っているドイツの大学の建築学科の話がある。そこの授業では、”その場所にどうして窓をおくのか?”とか”なんで部屋数は4部屋なのか?”とかものすごく根本的なところから議論するらしい。(知り合いのドイツ人に聞いたら、そんなことしねーよ、って言ってたから嘘かもだが)。僕もスウェーデンに留学していたとき、あちらの学位審査に何度か立ち会ったことがあるが、まるまる半日、研究のバックグラウンドだけを議論していて、とても疲れながらも感動した。日本の大学院でも、それをやると、きっと優秀な学生は反応してくれるんじゃないか(と思う。)また、優秀でない学生ももっと研究の意味や楽しさをわかってくれるんじゃないか(と思う。)これまでは、実利的なことの議論がどうしても優先してしまっていたが、そろそろ哲学的な議論も、折りに触れおこなっていこうと、何故か、ふと思う今日この頃である。
「選手に共通のアイデアを持たせ、同じようにパスをつなぎ、サッカーをさせることはある程度訓練すればできる。その先は個人で解決しなければいけない。」これは、オシムサッカー日本代表監督が今年のアジアカップでの敗戦後に記者団に語った言葉だけれど、まったく同じことが研究にもあてはまると思う。ぜんぜん研究マインドがない人でも毎日やることを指示しつづければ、インパクトファクターの低い論文(と呼べるかどうかわからないが)は出すことが可能である。でも、世の中に出す価値が本当にある論文をものにするためにはそれでは駄目だろう。よいデータをだすには、入念な準備や工夫、知識と経験、柔軟性、思考の明快さ等々、直接的な言葉だけでは伝えられない個人の資質としかいいようのないファクターが重要だからである。中村俊輔とかが人からの指示だけで、あるレベルに達したわけじゃないように、この部分ははっきり言って教えられない。いろいろヒントを与えようとは思うけれど、最後は、本人が気づくことである。
「粘膜免疫(mucosal immunology)」の学会にはじめて参加して発表してきた。経口免疫寛容の機序や腸内細菌との共生のしくみ、食物の免疫系への影響など粘膜免疫は魅力的な疑問がまだいっぱい残っていて、どの演題を聞いていてもとても興味深く勉強になった。発表も受けたし、今まで縁のなかった分野の外人とも、いっぱい話せて充実した2日間だった。粘膜免疫の分野の人は、アレルギー分野の人よりTGF-βに対する食いつきが鋭敏で、粘膜免疫にもっと研究をシフトしようか、と思ってしまった(そもそもTGF-βの本質は粘膜免疫にあるかもしれないし)。いずれにせよ、2年後のボストンでの学会にもよいデータがでればまた参加したい(ほんとは松坂が見たい)。(平成19年7月12日)
普段は参加しない日本アレルギー学会の春期臨床大会に、今回は用事もあって参加した。発表はすべて臨床関連なので、主に招請講演を聞いて勉強した。Dr.
SchleimerとDr. Holgateは、期せずして、二人とも、気道の上皮細胞がアレルギー性鼻炎や喘息の病態形成の鍵である、という同じ趣旨の話をした。
TSLPの話題も二人とも共通であり、この方向にアレルギーの世界は動いていることがよくわかる。2年前にKey stone symposiumに参加して既にこの方向への流れを感じていた私は一人内心ほくそえんだのであった(きもい)。
でも僕の今の考えは、TSLPはアレルギーだけの分子でないし、線維芽細胞もけっこう重要だということなのである。このアイデアが数年後に証明されるか、まったくあさっての方向なのか、楽しみである。
最近NatureにTGF-βが免疫反応の正と負の調節に関与するTh17細胞とTreg細胞の分化誘導に必須であることが報告され、免疫学の分野で、再び?TGF-βが注目を浴びている。これだけで驚いていけない。今年のNature Medicineには、TGF-βを阻害すると筋ジストロフィーが良くなる(マウスだが)話が載ったし、N Eng J Medでは、TGF-βとテロメラーゼの関係が特発性肺線維症の原因としてクローズアップされている。いったいTGF-βは、何者なのか?ほぼすべてのヒト細胞がTGF-β受容体を持っており、TGF-βがまったく関係ない生命現象やヒト疾患を探すほうが大変なことを思うと、TGF-βは、世界(生命現象)の中心に位置する分子なのかもしれない。この考えは、この分野に従事する研究者のバイアスと以前は自戒していたけど、マジに本当のことのような気がしている今日この頃である.
最近、論文を出すときの意識が変わって来ている。以前は、よい結果が出たら、それをまとめて、投稿するだけという意識(なんて平和!)だったけれども、最近は、エディターやレビィーワーとの“勝負”である。一種のゲームだけれども、地位と名誉(と研究費)がかかっているので、真剣勝負である。それもこれも、ここ数年出す論文がほとんど第一志望の雑誌に通らないという現状とそれに対する危機感がなせるわざである。近年、投稿論文数がオンラインサブミッションの普及で増加していること、技術レベルが高くなり論文の質が全体に向上していることなどによって科学雑誌における競争レベルが激化したのは事実だが、自分の感性の衰えを憂慮してしまうのもまた事実である。新しいアイデアをとにかく早く発表したいという気持ちを抑えつつ、いかにエディターやレビィーワーに文句を言わせる隙を与えないか熟慮する日々は、楽しい反面、ちょっと苦しくせち辛い。
研修医時代に喘息になり、膠原病グループでSLEの患者さんをいっぱい診たことをきっかけに、千葉大内科のアレルギー研究室で喘息の研究をはじめ、留学先のスウェーデンで免疫を調節する分子であるTGF-βの研究をスタートした。
その後、“TGF-βは喘息やアトピー性皮膚炎に抑制的なシグナルを入れる分子だ”ということを提唱する論文をいくつか出した。だから、“TGF-βはアレルギーを抑制する”ということを科学的に証明することが、私がやりたいすべてである。実証的な研究だけでなく疫学的研究などもどんどんやってこのメッセージを世の中の人に広められるよう努力したい。
また、“粘膜免疫におけるTGF-βの役割”をきっちりと明らかにしたいと思っている。このことは留学からもどった7、8年前にも何かに書いた記憶があるが、その後、世の中も僕も全然進展していない。これには粘膜免疫の実験技術が必要なので、もっとラボの力をつける必要がある。粘膜免疫におけるTGF-βの役割はTGF-βの本質を明らかにするかもしれない。
最後は、最近、はじめたTSLP研究である。TSLPと骨細胞との関係や関節リウマチとの関係は、すごく面白い。部外者として、骨やリウマチの研究者があっと言うような発見をぜひしてみたい。
でも、以上の事柄を、あと2?3年で形にしないと、研究をドライブする気持ちと研究費が持たなそうなのが、最近の心配ごとである。(= =)
外勤先の病院で、ひどい“じょく創”の患者さんを数年ぶりに診る機会があった。臀部にできたその10センチくらいの円形の“じょく創”は、えぐれた皮膚の部位を、コアグラ(凝集した血の固まり)がすっぽりと埋めており、チョコレートが貼付いているようであった。コアグラは主に血栓であり血小板に含まれたTGF-βがいっぱい存在する。やっぱりTGF-βは創傷治癒に効いてるんだなあ、と、妙に身近に納得できたのだった。
1 最初の原初的な(素朴な)疑問から説明する。
2 臨床とリンクさせて説明する。意義を理解させる。
3 シンプルでかつ面白い研究テーマを与える。(これを探すのが一番大変!)
4 顔を見たら、質問をして、実験結果を見る。
5 なんでもいいから褒める。
6 小さい論文でいいから1報、出させる。
7 学会発表する。(できたら外国)
8 以上を通して創造性や独創性、研究の快感の本質(の一端)を理解してもらう。
CIC新技術説明会(平成18年7月21日、東京)
はじめて、経口TGF-β摂取によるアレルギー疾患の予防(や治療)の可能性について企業関係者向けにプレゼンした。主に地方の国立大学の参加が多く、それぞれの大学が切磋琢磨して、工夫をこらしたポスターやパンフレット、発表を行っていた。大学は知の拠点として存在するのであって、その新しい成果を、大学の外部にアピールして社会の発展に貢献しなくてはいけない、という、考えてみれば当たり前のことが、ようやく当たり前の活動として行われるようになったのだと実感した。国立大学法人化にともなうゴタゴタは、いろいろあるけれども、全体としては良い方向に向かっているのだろうと思えた。この状況が進めば、自分の研究内容の価値は、ますます科学的かつ社会的にさらに厳しく問われることは自明である。がんばらないと。
TGF-β meeting in Uppsala, Sweden(May 13-14, 2006)
毎年ウプサラで開かれるclosedなTGF-βに関するシンポジウム。朝から晩まで行われ(夜はパーティー)、インビボの仕事からmolecularな仕事まで多彩に発表される。今年は天気がものすごく良くて、スウェーデンの自然の良さを堪能できた。今回は家族も連れて行ったので、彼らにも、とてもよかったと思う。
私は、経口TGF-βのアレルギー抑制作用について話した。質問も多かったし、そのあとご飯を食べてるときもいろんな人が話題にしてくれて良かった。いろんな質問から、これからまだまだ詰めなくてはならないところを、はっきりさせていかないと、と改めて思う次第であった。
新しい年が始まった。今年は、石の上にも(?)山梨で3年めであって、オリックスの清原か、免疫の私かというくらい勝負の年である。
平成18年の目標:
1 質の高い論文を数編(10数編と言いたいが)出す。
2 TGF-βの経口投与をアレルギー疾患に臨床応用できるよう、より詳細なデータの採取とコマーシャル活動を国内外でして、この企画に賛同してくれる企業を探す(なかったら自分で作る)。
来年この文章みて恥ずかしくならないように願います。
11月17日サッカー日本代表対アンゴラ代表戦を見て
少しでも研究というものがわかってきた人なら、誰でも感じていると思うけど、決定的なよいデータというのは、ほんとにたまにしかでない。サッカーのゴールと一緒で、入りそうで入らない(よいデータがでない)ことがほとんどの世界である。それだから、希少な、面白いデータが出たときこそ、勝負をかけて、もっと実験しなくては、いけないのである。人生にチャンスはほとんどない。でも、なんであれだけゴールを外しまくるフォワードが、いつも代表に選抜されるのかなあ?不合理を感じる研究者は、僕だけだろうか。
臨床アレルギー研究会(大阪)(10月8日)
主としてアレルギーに携わる臨床医(内科、小児科、皮膚科等)、研究医の集まり。討議のレベルは予想外に高かった(すいません)。講演は、すごく好評だったし(と、皆に言われた)、今後の研究へのいろんなサジェスチョンももらえてすごくよかった。3連休中に家族にブーブー言われながらも、大阪まで、出かけた甲斐はあった。会の終了後、阪大の先生とそこの大学院生と男3人でクラブでなぜかカラオケ大会となった。気がついたら4時間歌っていて、かつスピードのホワイトラブも振り付きで歌っていた。自分の振り付けに納得できなかったので、東京に帰ったあと、スピードのDVDを買ってしまった。
最近、ユニクロの若手社長が更迭された。ほんとの実情はわからないけど、まあ 3年間で明らかな業績向上がなかったという点は大きいのだろう。わが身に置き換えるとあと1年である(冷汗)。あと、病院の外勤に行って、生きるか死ぬかのシリアスな臨床の現場を見てると、基礎医学の意義をやっぱり考えてしまう。つまらない論文を書くのは止めて、ほんとの意味でイノベーティブな仕事をしないと、税金を使って研究して、かつ給料もらってる意味はない。スピードと新しいアイディアが大事です。みなさん とにかくがんばりましょう(誰に言ってるんや)。
TGF-β meeting in Uppsala, Sweden(June 3-4, 2005)
留学以来久しぶり(1997年以来)のスウェーデン訪問。飛行機がアーランダ空港に降り立つときに、レンガ色を基調にしたスウェーデンハウスや鮮やかな緑色の針葉樹林を見たときに、こみあげるものがあった。ウプサラの街並みを歩いたときも当時の不安定な感情がプレイバックしていた。ミーティングはヨーロッパ人ばかりだったので、はやりの研究(epithelial
mesenchaymal transition (EMT)など)は少なくて、派手ではないが地道なものが多かった。自分の発表は結構、好評を得ていたが、アイディアをしゃべっちゃったので、とにかく早く論文にして発表しなくては(汗)。お土産にスウェーデンのICAというスーパーマーケットで、留学当時よく食べていた?食べ物を買って帰ったら、家内に、全然違うと言われ、いったい何を覚えてるの?とか、散々だった。
Keystone Symposium "Roles of TGF-β in the pathogenesis of diseases"(March28-
April 2, 2005, Keystone, Denver, Colorado, USA)の感想:
高名なTGF-β研究者が勢ぞろいしたオールスターゲームだった。みんな個々にオリジナルな説得力ある発表をしていて、聞いていると世界(生命現象)の中心にはTGF-βがいる(叫ぶ?)と思えるほどだった。ただ、昼食時に東大の宮園浩平先生と歓談している時に
”ああ言っているのは彼だけなんですよねー。ははは。”とかいう話を聞くと、いったい何を信じたらいいの?って思ったのも事実である。いずれにせよ、都会の喧騒も何もない田舎でひたすら勉強していた1週間はとても貴重だった。
TGF-βが制御性T細胞やTh17細胞の分化誘導に関係することが示されてから、T細胞分化のパラダイムが変わった。Th1とかTh2という議論はいったいなんだったんだろうか?でも今のモデルのほうがよほど理にかなっている。どういう風に今後免疫学が進歩していくのかとても興味深い。再び混沌とした状況の中、TGF-βシステムの進化における意味付け(免疫系を含む)を考えるのはとても重要と思える。将来、理論だけの論文をNatureとかにだせたらカッコいいのになあ。
山梨に来て早くも2年になろうとしている。この間に進歩したことは
1山梨産のワインの銘柄を把握したこと
2料理(自炊)が生まれて初めて少しできるようになったこと(単身赴任なので。やれやれ)
3野球が少し上手になって(?)少し筋肉がついたこと(脳外科のチームに入れてもらい週2回朝練してるし、医局でもいつもバットを振っているので。注)誰かを殴っているのではなくて、ストイックな素振りです。
くらいである。
今年はちゃんとした論文を出して高価なワインで乾杯したい(笑)
昨日、ドジャースの黒田投手が、すばらしい投球内容で、4月6日以来の2勝目をあげた。試合後、記者団に笑顔で、「勝つのはそんなに簡単なことじゃない。やっぱりしんどい思いをして、いろんなことを考えてやっと勝てる。」と語ったらしい。なんかすごくリアリティーがあって、えらく共感してしまい、思わずこの文章を印刷して、机の横に貼ってしまった。(かつKURODA Tシャツも“購入”クリックしてしまった(汗))。ポジティブデータを蓄積して、論文を書いて、受理させることは、そんなに簡単なことじゃないのである。
私がストレス感じてるときは、医局に、アマゾンやら楽天からのお届けものがやたらに増えるから、事務のオオヌマさんには一目瞭然である。今月は、ほとんど論文書きができなかったから、ええい、っと、“購入”クリックすることがやたら増えてしまった。まあ、買ってもCDとか本なんだけど。
理研(ゲノム医科学研究センター)にセミナーに呼ばれて行った。アレルギー疾患の遺伝学をやっている某T先生とセミナーの後じっくり話しているうちに、2人の間ではアレルギー疾患の発症メカニズムが勝手に解明されてしまっていた。詳しいことは残念ながら書けないけど、あと5年くらいでアレルギーは解明されます(笑)。
NHKは、篤姫とサラリーマンネオ以外ほとんど見ないけど、ヤクルトの宮本選手が出るので、(野球好きの私としては)“プロフェッショナル”を久しぶりに見た。練習風景のグラブさばきだけでも見る価値があった。番組のメッセージの1つは“プロである以上努力するのは当たり前、他の人がやらないそれ以上のことをやるかどうか、でプロ野球の世界で生きていけるかどうか決まるんだ”だったけど、僕らのレベル(大学院)では、努力するのが当たり前になってないなあ、厳しい世界だなあと思いながら見ていた。プロ野球の世界には(もういい年なのに)やはり憧れる。
たまたま「ショートソング」(枡野浩一、集英社文庫)という短歌小説を読んだらとても面白かった。以下、研究室にて詠める(字余り):
えっ おまえ、全然理解してないじゃんと、ちょっとした会話でわかる衝撃
娘と最近、“バッテリー”という青春野球映画を見た。“野球はやらせてもらうものでなく、やるものです。”という、主人公が、子供が野球をするのを止めさせようとしているお母さんを諭す場面はジーンときた。野球という好きなことに出会えた幸福な人が言えるセリフかもしれないが、我が大学院生にも問いかけたいコトバであった。もちろん、もっと心配なのは娘が“野球”のようなものに果たして将来出会えるのかどうかということではあった。
山梨大学国際交流事業 ”先端医学講座”:中国医科大学、内蒙古医学院、北京大学(中国)(9月5日-14日、2005)
中国の各都市で学生や研究者、お医者さんを相手にセミナーや講義をするという珍しい機会を得た。どの場所でも、約50分間の講義で、そのあとの質疑応答が1時間以上という非常に熱心な集まりだった。講義やセミナー中にまったく寝ている学生はいなかったので、授業中に寝るというのは日本人独特のものなのだろうか、と思った。集中するしないのメリハリのつけ方が上手じゃないのか、勉強しなければ将来食べていけないという切迫感がないのか、等々、考えてしまった。そこの君、寝るくらいなら授業でなくていいです(免疫学は)。