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地球の断片(かけら)として

早川 哲

生化学講座第2教室 助教 (2015年12月)

 「将来がんの研究をする。」「病気の原因を見つける」。高校生の頃のそんな漠然とした理由で研究の世界に入っていました。東工大で学位を取得した後、私はアメリカとフランスに研究留学しました。海外留学は研究を続けて良かったと思えることの一つといえるでしょう。全く異なる環境下での研究は刺激になるし、海外の友人も得られます。しかしときに文化や考え方の違いからつまずくこともあります。そんなときにどうポジティブにその経験を生かせるかがその後の人生の糧になるか否かの鍵になります。留学時の経験は今の私の研究者としてそして人間としての生き方の支柱になっています。

 アメリカの留学先マサチューセッツ大学医学部はウースター(Worcester)という街にあり、ボストンからは40マイルほど西に向かった場所にあります。そこで私は脂質に結合するドメインやそれを有するタンパク質群の機能解析を始めました。渡米当初はわからないことだらけでしたが、「人種のるつぼ」であるアメリカで多くの人に助けてもらい、生活に慣れてくると仕事のリズムも整い、実験のデータがでるようになってきました。
 最初の論文が出た頃、ボスから「実験室ばかりこもらずに外を見てみなさい」と言われました。最初は意味が分からなかったのですが、「人種のるつぼ」であるアメリカでは多種多様の文化をもった人たちが集まっています。当然軋轢が生じることがあります。そんなときいかに対処するかを人々のふれあいを通して覚えなさいということでした。そのため積極的に会話をして友人を増やし、アメリカ人だけでなく、他の国出身の人々との会話を通してコミュニケーション能力を高めることに努めました。

 その後、フランスのパリ第7大学ジャック・モノ研究所に留学し、酵母を用いた研究を始めました。
フランスでの留学は自分にとって研究以外にも、人としてのターニングポイントになりました。
「Je ne suis pas Charlie.(私はシャルリではない)」と声を大にして言えない世界。「自由」という概念が全く違う世界の人々との毎日は日本やアメリカで感じたことのないものでした。
華やかな通りの裏に、ヨーロッパの若者がイスラム国に行く現実がそこにはありました。
彼らとのコミュニケーションを図るため、私はフランス語だけでなく、ユダヤ人迫害の歴史、キリスト教の歴史と背景、イスラム教徒との確執等を勉強する羽目になりました。
それでも見えない壁にアジア人として押しつぶされそうになった頃、ふと子供の頃見たことのある表紙の本が目に留まり、読んでみました。
それは親のお気に入りの本で、自分が小学生のころ手に取って読み始め、2ページ目3つめの挿絵がトラウマとなって挫折したもの。その本のなかでこんな一節を見つけました。

On ne voit bien qu’avec le cœur.  L’essentiel est invisible pour les yeux.
(ぼくらは心でしかよく見ることができないのさ。本当に大切なものは目には見えないんだよ)

「星の王子様(Le Petit Prince)」の中でキツネ (le renard)が別れ際に王子様に言う台詞です。

「本当に大切なものは目には見えない」

この意味を実はまだ本当には理解できていません。一生わからないかもしれません。果たして自分はいままで「何を」見てきたのか?目の前に起きている「現実」を「事実」と取り違えてはいなかったか?

 人として「われわれは何者か?われわれはどこへ行くのか?」という無限回廊に入り込み研究者としての本分を何度か忘れかけそうになりました。そんな時には気晴らしに美術館を廻ったり、スイーツを試食しまくりました。その甲斐あってか核膜複合体を構成するたんぱく質の一つのユビキチン化が、酵母の細胞分裂期に重要な役割を果たすことを示す論文を発表できました。ちょうどその頃、東工大から声を掛けていただき日本に戻る決心をしました。十年以上たった日本ですが、「人生の宿題」はひとまず置いて研究に没頭しました。その結果、難病クッシング病の発症機構の解明に貢献することができ、ドイツのグループと共同発表することができました。忘れかけていた「病気の原因を見つける」という学生時代の目標にようやく一歩近づけた気がします。

 帰国していま振り返ってみると留学を通して研究者として人間として多くを学べたと思います。
アメリカでつねに念頭に置くべきは「人種のるつぼ」のなかでのコミュニケーションの大切さです。言葉は単なる道具にすぎず、いかにその道具を使ってコミュニケーションを図るかが重要です。そのためには相手のバックグラウンドも知る必要があり、自分の常識や価値観のみで判断してはコミュニケーションをとることはできないということを悟りました。
 またグローバルな視点を身につけようとすると「知らない方が幸せ」という場面に直面することがあります。そのようなときに、目に映るものだけで真実を知ろうとするのではなく、一歩進んで違う場所から物事を見る勇気と努力が必要だと言うことをフランスで学びました。それは「痛み」を伴うものですが、日常の自分に変化をもたらすものとして、今は前向きに考えるようになりました。逆に言えばルーティーンな日常を変えたいならば、ときには「痛み」をともなう「人生の宿題」にチャレンジしてみるのも悪くないということです。

 その後、山梨大学に移り生化学講座第2教室で乳がんの悪性化のメカニズムについて研究をしています。
乳がんは在米時、私がもっとも研究したいと思う病気の一つになっていました。
というのも日常生活を通しアメリカではつくづく身近な病気であることを感じたからです。なによりも親しかった友人に乳がんが見つかったと知らされたときは私自身もショックであり、乳がんに対して強い関心を抱くきっかけとなりました。
また日本ではまだなじみが薄いですが、アメリカでは10月になるとピンク色のリボンで街が染まります。このピンクリボン、乳がんの啓蒙運動のシンボルです。乳がんの大きな学会もあり自分も機会があれば研究に参加したいと思うようになりました。実際に研究を始めてみると乳がんにもさまざまな種類があり、日々勉強中です。

 夜、顕微鏡でがん細胞を観察して「なぜ正常だった細胞ががん化してしまうのか?」と自問していると、ふとがん細胞たちが語りかけてくるような気がするときがあります。
「ひとも細胞も地球(ほし)の断片。70億の断片だけでもカオスなのに、37兆個の断片がみんな行儀よくまじめなんてできるわけがないだろ。」
なんだかがん細胞の開き直り発言のように聞こえるし、単に自分が疲れているだけなのかもしれません。ただ彼ら(=がん細胞)の言う「すべてが正常である方がむしろ異常である」という主張は一理ある気はします。そんな彼らとずっと向き合っていると「がん細胞はひとよりも賢いかも」とすら思うこともあります。
 彼らの狡猾さに負けないように、そして自分たちの研究が乳がん治療の一助となるように努力を続けていきたいと思います。人として「人生の宿題」を地道に解きながら、研究者として今までの経験を前向きに活かし、乳がんで苦しむ人たちが少しでも減る日が来ることを信じて。

アメリカ、ウースターにある友人宅でのパーティーにて。写真右端が筆者。「人種のるつぼ」では職場(研究室)以外の場所でのコミュニケーションも大切です。


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