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第4の欲求!?

井上 克枝

臨床検査医学講座 准教授 (2015年9月)

現:臨床検査医学講座 教授

私が山梨医科大学医学部医学科の3年生だったころ、薬理学の授業で、当時の助教授の先生がこんな話をしていました。下記添付の『図-1』を見ながらお読みください。
 「アドレナリンβ2受容体作動薬は、気管支平滑筋のアドレナリンβ2受容体に作用してGsを活性化する。Gsがアデニル酸シクラーゼ (AC) を活性化し、エーエムピー (AMP) をサイクリックエーエムピー (cAMP) に変換する。cAMP は プロテインキナーゼA を活性化して、気管支平滑筋を弛緩させる。増加したcAMP は ホスホジエステラーゼ (PDE) により分解されて再び AMP に戻る。テオフィリンは PDE を抑制することで cAMP の濃度を増加させ、アドレナリンβ2受容体作動薬の効果を増強する。」
 ほおー、と私は感心しました。私は酷い喘息で、アドレナリンβ2受容体作動薬の吸入薬と、テオフィリン内服薬を使っていたからです。「だから、両方使うと効果が高くなるわけね。そうすると、気管支平滑筋が弛緩して、息の通りが良くなって、息が楽になるのかー。」先生は続けます。
 「心筋にはアドレナリンβ1受容体が分布していて、心拍数増加、心筋収縮力を増加させます。β2に選択性の高くないβ2受容体作動薬はβ1にも作用して、頻脈が起こります。さらに骨格筋のβ2受容体に作用すると振戦が起こります。」
 ここで私は大感激してしまいました。「だからー、吸入したりテオフィリンを飲むと、息が楽になるけど、胸がドキドキして手が震えるんだ!」生物の3大欲求は、食欲、睡眠欲、性欲と言われますが、ことヒトに関しては、第4の欲求として「理由欲」があるのではないでしょうか。ヒトは、なぜこうなるのか、がわかるとすごく気持ちがいいのです。そして、小さな細胞の中のもっと小さな分子の動きで、様々な生体に起こる現象が説明できるシグナル伝達という学問は“すごい”と思いました。このとき私は、卒業して研修医を終えたあと、シグナル伝達を研究しようと決めました。
 進路を決める頃になって当時の薬理学の研究室を訪ねると、シグナル伝達の研究はあまり行っていないとのことでした。そこで血小板を材料としてシグナル伝達の研究を行っている臨床検査医学講座に入局することに決めました。血小板は、けがをした時にかさぶたを作る、あのちっぽけな細胞です。シグナル分子の動きをみるためには、細胞を溶解しなければなりませんが、普通の細胞は細胞溶解液を加えると、ゴム糊のようにベタベタとなり、扱いづらいのです。核のない血小板は溶解液を加えてもサラサラとしていて、血液から多量に分離できることから、シグナル伝達の研究に多用されていました。プロテインキナーゼC、チロシンキナーゼなどに関する重要な知見が血小板を材料にして発見されました。ただ、私が入局したころには遺伝子工学の時代となり、核のない血小板には遺伝子導入をすることができないため、血小板を用いた研究は下火になっていました。
 血小板を用いてシグナル伝達の研究をしているうちに、私たちは血小板を活性化する、面白い蛇毒に出会いました。蛇毒の中にはヒトの血小板や凝固因子を活性化したり抑制したりする蛋白が多く含まれ、それらを研究することで血栓止血学が発展してきたという経緯があります。その蛇毒を研究するうちに、血小板上に c-type lectin-like receptor 2 (CLEC-2) という受容体が発現していること世界で初めて見つけました。CLEC-2 は蛇毒と結合する受容体なのですが、蛇毒は私たちの体の中に常にいるわけではありません。生体内では何とくっついているのだろう?と研究していくうちに、私たちはポドプラニンという膜蛋白が CLEC-2 とくっつくことを発見しました。この結合が、とんでもなく色々な機能を持っており、私たちの発見を契機として世界中の血小板などの研究者がポドプラニンとCLEC-2の研究を始めました。ポドプラニンとCLEC-2の結合は、いったい何をしているのかと言いますと、例えば、リンパ管の発生になくてはならないのです。胎児が大きくなる過程で、血管の一部からリンパ管ができます。このときCLEC-2とポドプラニンがないと、リンパ管が血管から分離できなくなってしまうのです。リンパ腺や肺が作られるのにも必要です。血小板はかさぶたを作るしか能がないと思われてきましたが、実に様々な役割があることがわかり、下火になった血小板研究が盛り返してきた感があります。そのきっかけを作り、新しい血小板機能を発見している University of Yamanashi は血小板研究の世界では、国際的にちょっとした有名大学なのです。
 この発見を通じて、「だから、血小板は1マイクロリットルあたり5万個もあればかさぶたを作るのには困らないのに、20万個もあるのか」、「だから、血小板には沢山の顆粒があって、増殖因子や血管新生因子が入っているのか」と、第4の欲求が満たされる日々を送っております。第4の欲求が強い人は、研究者になると楽しい日々が待っています。

図-1

 

国際血栓止血学会(2013年アムステルダム)のポスターセッションでのひとコマ。中央左の日本人が筆者。


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