2010年より山梨大学・生化学講座第一教室に助教として着任し、2015年3月より同教室・講師を拝命しました萩原明です。神経細胞の情報伝達場であるシナプスに興味を抱き、大学院博士課程からシナプスの形態学的・生理学的解析を中心に、脳・神経系の研究に携わってきました。
写真はOxford大学のPeter Somogyi教授を訪問した時のものです。Somogyi教授は私が大学院生時代(自然科学研究機構・生理学研究所)、恩師である重本隆一教授の研究室にサバティカル(勤続期間の長い教授等に与えられる長期休暇制度)を利用して1年間滞在され、研究生活を共にする中で科学者としての心構えをご教示くださいました。中でも次の2つは今も大切な教えとして肝に銘じ、また今後は多くの学生にも伝えていければと考えています。
(1)「機能分子なんて言葉はナンセンスだ。全てのたんぱく質は役割があってそこに存在しており、機能がないのではなく、我々がその機能をまだ知らないだけである。」
なんとなく人間社会にも通ずるような教えでもありますが、サイエンティストして言葉選びは慎重にすること、そして知らない機能からその役割を見出すことこそが科学の楽しみの一つであると捉えています。
(2)「サイエンティストとしての英語を習得しなさい。」
重本研究室では英語で発表し議論する環境が整えられており、学生だった私はなんとか通じる程度の英語で四苦八苦しつつも、なんとなく通じてしまうことに多少甘えていた部分がありました。その際、科学者として正しい英語を使う必要性を強く諭されました。この教えは、その後Harvard大学に留学した際に改めて実感しました。発音は各国らしさが許されますが、文法は世界共通です。互いの主張を理解し合うためには英語の正確さが重要であることを痛感しました。今も英語は苦労することばかりですが、サイエンティストとしての英語を心がけて日々精進しています。
数年前ふとイギリス旅行を思いたち、せっかくならロンドンから足を延ばしてご挨拶に伺おうとSomogyi教授に連絡を取りました。ありがたいことに、せっかくOxfordにくるならOxfordらしさを味わうためにセミナーでもしていきなさい。とのお申し出を受け、気楽な一人旅のはずが一気にセミナーメインの旅行に切り替わりました。観光地の下調べよりもセミナー準備を優先して出発したため、飛行機をおりて、さて…ホテルまでどうやって行けばよいのやら??と困った状況に陥ったほどです。ハリーポッタースタジオツアーも予約が間に合わず行けませんでしたが、Oxford大学でセミナーし、また学生たちの日常を垣間見てリアルなハリーポッターの世界を体験する貴重な機会となりました。なによりも、セミナー終了後Somogyi教授に良いセミナーだったよとおほめの言葉を頂けたことが、最大の喜びとなりました。
私が長年興味を抱き、研究対象としているシナプスは神経細胞が情報を伝達する極小さな構造体です。記憶や心の源泉を求め、脳を小さく、小さく切り刻み、電子顕微鏡と言う装置を用いてようやく観察できます。初めて電子顕微鏡で脳を観察した際は、映し出される多種多様な微細構造に生物という名の宇宙に入り込んだような感覚を覚えました。その後も、様々な形・種類からなるシナプスの多様性に強い魅力を感じてきました。シナプスは一つとして同じ形のものはありませんが、一方で興奮性や抑制性といったカテゴリーに分類すると、それぞれの機能を果たす統一された基本構造を有しています。通常、シナプスは単独では機能せず、同種のシナプスが集団となって活動することで神経回路を制御し、時にはその結果が行動として表現されます。暗い電顕室で試料を観察しながらこのようなシナプスに思いを馳せていると、脳という宇宙の中で人間社会を見ているような不思議な感覚に陥り、神経回路は人と人との絆の原点であるような気がしてきます。そんなシナプスの魅力を多くの方々と共有したいといつも願っているのですが、熱く語れば語るほど周りの目が冷めていくのは気のせいでしょうか?
近年、脳・神経科学の研究界では光遺伝学と呼ばれる光で神経活動を操る方法を始めとした技術的なブレイクスルーがあり、さらにアメリカやヨーロッパでは大型予算プロジェクトが始動し、いわゆる脳の世紀に突入しました。これまでの個々の神経細胞やシナプスの解析から、神経回路網における情報伝達機構、さらに統合された情報によって制御される脳の機能解析へと発展しつつあります。最近受けた印象深かった質問に、幸せになる神経回路ってありますか?というものがありました。難しい課題ですが、大きな変革期を迎えている今、この時代に脳・神経科学の研究に携わっている者として、この質問に応えられるような研究をこれからも志していきたいです。