私は近年カンボジアでのタイ肝吸虫症と子どもの低体重をターゲットとしたフィールド調査に取組んでいます。カンボジアとの関わりは2000年にNGOスタッフとして赴任したことから始まりました。振り返ると、何故自分が今このような研究に取り組んでいるのか不思議であるとしか言いようがなく、またそれらは様々な「出会い」に導かれたものでした。
1.原点:アジアの国々・人々との出会い
20代の自分は研究者になることなど想像もしていませんでしたが、20代半ばで臨床検査技師から転向して看護の道を志した時が原点であると言えます。この中で伊藤邦幸医師(故人、元日本キリスト教海外医療協力会〔JOCS〕・ネパール派遣医師)に出会い、大きな影響を受けました。また、ネパール・ミクロネシア・フィリピン・タイなど様々な国々の人々に出会い、その生活に触れたことで私の人生は一変しました。大の英語嫌いだった私が「将来発展途上国で働きたい」と思ったのです。そしてパキスタン・ペシャワールにて出会ったアフガン難民の若者たち(ペシャワール会・中村哲医師の活動していた病院の検査室スタッフ)の姿に触れて芽生えた「いつか必ず彼らと共に働くのだ」という決意が、日本で看護職としての経験を積む私を支えていました。
2.研究者としての第一歩:カンボジアとの出会い
しかし、アフガニスタンに行こうとする度に様々な障害が生じ、10年経っても道は開かれませんでした(その度に転職する羽目に…)。そこにJOCSから「カンボジアで保健師として働きませんか?」という話が舞い込みました。その時の私はカンボジアにはさほど関心がありませんでしたが、「発展途上国で働く、という当初の願いはこれを逃してはもう無いかもしれない」と考え、カンボジアに行くことを決意。3年の地域保健活動の中でいつの間にかカンボジアにはまり込んでいました。
3年の活動を終え、NGOの活動としては自分の責任を果たしたと感じていましたが、私の中にはモヤモヤとしたものがありました。「カンボジアの人々の健康にもっと別の形で関われないだろうか」。帰国後は大学院博士課程に籍を置き2年間をカンボジアでのフィールド調査に明け暮れました。これが私の研究者としての本当の意味での第一歩となりました。カンボジアにはありとあらゆる健康課題が山積していました。現在もさほど変わっていません。
3.ライフワークとなる研究テーマとの出会い:カンボジアのタイ肝吸虫症
この2年の中で更なる出会いがありました。「タイ肝吸虫症」です。2005年から博士研究のテーマとして「妊産婦貧血調査」を行っていた際、鉤虫感染症の影響を検証するために実施した検便調査。検便を担当してくれたカンボジア保健省検査スタッフが「和子、カンボジアでこんなにたくさんのタイ肝吸虫の虫卵を見たのは初めて!!どうしてここにこんなに感染者がいるの!?すごいよ!」と叫んだのです。早速保健省寄生虫部門の医師やスタッフと検証、追加調査を実施した結果、カンボジア初の流行地の発見となりました。
タイ肝吸虫症はコイ科淡水魚の生食によりヒトに感染し、肝臓がんの発がん性があり(国際がん研究機関=IARCがリスク1に指定)、Food Born Trematodes(食由来吸虫症)の一つです。近隣のタイ・ラオスでは1000万人以上の感染者がいると言われ、両国の国家保健対策にも組み込まれています。メコン河上流のラオスに流行地があるのですからカンボジアで流行があっても不思議ではありません。しかし2006年の調査開始当時は「カンボジアでは淡水魚の生食はあまりみられない」「メコン河流域での寄生虫調査でタイ肝吸虫症流行地は発見されていない」と言われていました。私たちが発見した流行地はメコン河の支流の更に支流から数キロ以上離れた村でしたから「なぜこの村に?」という疑問もありました。
博士研究に関する調査は終了、助成団体からの研究費も底をつき、学生でありながら自腹で調査している状況でしたので、これ以上の調査は断念せざるを得ないと考え始めていた時、一緒に働いていた地方保健行政の医師から「和子はもうこれで帰るのか?もう調査はしないのか?このままなのか?」と問われ、つい「もし研究費が獲れたら戻ってきて調査をする」と約束してしまいました。そして応募した助成金が獲れ、再びカンボジアへ。最初に流行が確認された村周辺の数か村での流行を確認しました。しかし水域は同じでも少し離れるとほとんどの村は感染者なし、淡水魚生食率が高い村でも感染者は数%であり、流行地は限局されているかに見えました。
2007年に着任した獨協医科大学では、熱帯病寄生虫病講座の先生方が1990年代からカンボジアにてメコン住血吸虫症の研究に取り組まれていました。この先生方のご協力をいただき、忍耐強くフィールド調査を続けた結果、徐々に他県での流行地も発見され、2013年度までに6県で感染を確認し、特にコンポンチャム県では広範囲に流行地が存在することを明らかにできました。しかし未だ、国全体の罹患状況把握には至っていません。
「どこに流行地があるか全くわからない」状況で調査は始まり、「調査対象地をどこにするか」を決定することがとても困難でした。これもまた不思議なことですが、ピン・ポイントで決定した調査対象地で流行が確認されていったのです。これには共同研究者・松田肇先生(現在・獨協医科大学名誉教授)の長年にわたる寄生虫フィールド研究の積み重ねによる『経験知』があったからこそと感じています。気が遠くなるような思いで始めた調査ですが、徐々に「流行地条件」が整理され、現在、多くの地域が調査候補地に挙がっていますが、残念ながら研究費が獲得できず、調査は中断しています。しかしながら、この研究はカンボジア保健省からも貴重な調査として期待されています。
タイ肝吸虫症をはじめとする腸管寄生虫症は当にNTDs(Neglected Tropical Diseases:顧みられない熱帯病)であり、カンボジア保健省に対策のための予算はありません。また、研究費の獲得も容易ではありません。フィールド調査は様々なコントロールが効かず、すぐに研究論文として発表できる形でデータが得られるとは限りません。研究業績から見たら「効率が悪い」研究テーマかもしれません。「何故私の調査でカンボジア初の流行地発見となったのか」は不思議としか言いようがなく、それがこの研究にこだわり続けるのか「動機」にもなっています。見つけようとしていた訳ではない「タイ肝吸虫症」が自ら私の方にやって来たのですから。私は寄生虫症の専門家ではなく、調査を継続するのは容易なことではありません。しかし、だからこそ色々な先生方からご協力いただき、研究が進んでいくという醍醐味を経験できるのだと思います。
4.研究者としての責任を思う:人々の生活の場で研究する者として
私たちの調査は調査対象地域住民の参加の下に実施し、調査結果を流行地住民にフィードバックし、予防対策を一緒に考える、という当事者参加型アクションリサーチの手法も用いています。ある時調査地域の住民に言われました。「私はあなたたちの調査結果は信頼する。あなたたちは私たちの村の中で検便をし、炎天下で一緒に貝や魚を集め、何度もこの村に足を運んでいた。そしてこの村の結果を直接伝えてくれた。これまでにも『調査』に来た外国人はいた。しかし彼らは私たちから便を集めて行っただけだった。彼らの調査結果がどうなったか知らない。私たちには何も残らなかった」。身の引き締まる思いがしました。保健医療研究をする者は調査対象者に対し重い責任があることを痛感しました。私の行っている調査手法は「効率」の面からはあまり要領が良いとは言えないでしょう。しかしこれからも当事者と関わりを持ちつつ、研究者の責任を果たせる研究を行いたいと考えています。
5.異業種協力
もう一つ、現在実施している研究のテーマに「農村部の子どもの低体重」があります。国連・ミレニアム・ディベロップメント・ゴール(MDGs)報告書では、乳幼児の低栄養は改善していると報告されています。しかしカンボジアの農村部では、多くの子どもたちは体重さえ計っていません。予防接種記録と5歳までの体重が成長曲線上に記録できるカードが配られていますが、出生体重後の体重が記録されているカードを見たことがありません。カンボジアでは急性の低栄養児はあまり見られません。低体重は徐々に進行し、小学生になっても継続していきます。しかし保護者は自分たちの子どもが低体重であってもそれを知る機会さえないのです。「親が小さいのだから子供が小さいのは当たり前」という保護者たちの言葉。内戦時代を過ごした親世代も皆低栄養だったのです。
子どもたちが低体重になる背景は食糧不足だけではありません。近年は農業収入では生計が成り立たないため、多くの母親が出稼ぎに出でいます。この影響で多くの乳児が母乳不足や不適切な食事により低体重となっています。スナック菓子が安価で栄養があると誤解され、毎日たくさんのスナック菓子を食事代わりに食べている子どもたちもいます。経済発展が進むことで子供たちの成長に負の影響が出ていると感じています。
この研究はカンボジアの農業・農村開発NGOと共に取り組んでいます。保健医療だけでは解決できない多くの健康課題があると感じています。農業によって家族皆が十分に栄養のある食事を食べられ、現金収入も得られたら子どもたちの健康状態もどれほど良くなることか。同じビジョンを見ながらNGOとの共同研究が続いています。
6.これから
前述しましたとおり「カンボジアにはありとあらゆる健康関連の課題が山積」です。やりたいことは山のようにありますが、自分の限界もあります。これからもできることを続けていきたいと願っています。発展途上国での研究は喜びや楽しみもたくさんありますが、日本では考えられないような困難にも出会います。カンボジアの農村部の健康課題に関わっていつの間にか16年が経ちました。この中で私が学んだことは、「その研究が対象となる人々にとって本当に意義のあるものであるならば『必要を満たす出会いがあり、助けは必ず得られる』、また『あきらめなければ、なんとかなる』ということです。
調査対象村での住民会議風景