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「凡庸なる者」

中本 和典

総合分析実験センター (2013年3月)

 何人たりとも真理の探求という点では平等であるから、先生という敬称をつけるべきでない、という教えを受けてきた。けれど、ここの拙文で出てくる私の先生のことをあえて先生と呼ばせていただくことをご容赦ください。(この言い回しがすでに私の出身講座の常套句となっている。)
 私の専門は数学で特に代数幾何学である。表現のモジュライの構成とその代数幾何学的な性質および代数的位相幾何学的性質を調べている。端的に言えば、任意の可換環上の行列に関する「メタ定理」を見つけることが私のライフワークである。何かしらライフワークを見つけることができるかは、それ以降の研究人生に大きく影響するのであるが、人生をかけても価値のあるおもしろい問題に出会ったことは幸せなのかもしれない。
 数学の研究は「正しい」ことが当然の前提であるが、それに加えて、「おもしろい」ことが条件としてある。何がおもしろくて、何がおもしろくないかは、人によって異なることがあるのだが、それでもある一定の評価基準みたいなものがあるような気がする。いかにしておもしろい数学が創造できるかは、常日頃その数学的センスを磨かなくてはいけないのだが、そのためのよい方法として、「本物」にふれるという方法がある。世にある「本物」の数学にふれ、その都度自分のセンスを確認する。自分の数学がおもしろいかどうか自問自答することが大事のように思える。たとえば、F賞のM先生の講義を聞いて、たとえ詳細がわからなくても世のトップレベルはこのぐらいか、というのを肌で感じる。直接ご本人に話しかけられると、さらに励みになる。
 大学院では、師匠のM先生が放任主義ということもあるが、全く師匠の言うことを聞かなかった。別のところのS先生のセミナーに入り浸っていても、よくもまあ不肖の弟子を我慢していたものだと今からだとつくづく思う。如何に学生時代から勉強していなかったのか、能力がなかったのか、今でも「正統派」の数学ができない。あくまで我流の数学でしかない。圧倒的な勉強量の不足に愕然とし、自分のふがいなさにへこむ。
あるとき、S先生のセミナーで3次の行列の不変式環の話をしたとき、ドイツから来ていた別のS先生から、「応用は?」とたずねられたので、「ない。」と答えた。これは、こういう結果は論文にしてはいけないのだ、と勝手に誤解して、しばらくなにもせずほっといた。でも、論文にしたら、私の論文の中で一番引用されることになった。わからないものである。
 大学で何を学んだかを一言で言うと、「権威にこびるな」ということであるが、どうも世の中の人は賞や権威に弱い。世に「にせもの」がはびこる土壌がそこにはある。数学の人はその辺無頓着なのだが、世間の人に数学の「えらさ」を理解してもらおうと、日本の数学にも新人賞をつくり、その当時にはあった幾何学賞をまねて、代数学賞を新しくつくった、というお話しを師匠の師匠のN先生からお聞きした。
 師匠のM先生から直接ではなく、師匠の師匠のN先生からはいろいろと忠告を受けた。何もせずぼーっとしているのが心配だったらしく、「就職活動したらどう」というお言葉をN先生からいただいた。そんなもんかいな、と思いつつ、応募しつづけて、10通目でようやく最初の職につくことができた。師匠のM先生は、あまりよろしく思っていらっしゃらなかったこともあり、忙しくされていたこともあって、推薦状を書いてもらっていなかったと思い込んでいたら、O氏が最近師匠の推薦状が残っていたのを見つけた。そこには次のようなことが書いてあったらしい。「深く考えすぎて論文を書かない。そこがいいところでもあるし、悪いところでもある。」 合掌。
 職探しの最中、時代は変わり、学位がないと就職できない世になってきた。兄弟子から「師匠の理解できない事をして初めて学位の資格がある」と言われたが、確かにその通りだと思う。人より長い期間を過ごして、そろそろ学位をとれば、と言われたが、その当時投稿していた論文が、査読が帰ってから半年以上なにもしなかったので、編集委員長のI先生から電話がかかってきた。直接I先生から添削指導をうけることとなり、すごく緊張しながら、論文を修正した。それが私の学位論文となった。
 職についてから、いろいろと社会勉強することになり、大変勉強になった。あるとき、初めて海外に行くことになり、英語ができないのでどうしたらよいのかとY先生に尋ねると、「自分の論文をそのまま読めばよい。」と言われたので、確かにその通りだと思って安心した。英語はできないが、数学に関しては「腕におぼえあり」と根拠のない自信をもってメキシコに行った。非常に良い体験であった。研究者の交流としてメキシコに行ったので、留学の経験がいまだにないのが残念なのだが、それも一つの人生かと思っている。
 「失われた10年」と、就職してからの期間を勝手に自分で名付けているのだが、今進めている数学は私の院生時代に思いついたアイデアが元であり、今はそのアイデアの実現をしているにすぎないように思える。忙しいのもあるが、そもそも圧倒的な勉強不足である。情けなくてへこむ。数学の女神に微笑んでもらえなかった者の悲しみがあるが、それ以前に努力を怠っているのは、女神以前の問題で論外である。
 それでもこの失われた12年で、気づいたことがある。「自分の数学をしてよい」ということ。これは最近頭でわかるようになってきた。流行にとらわれなくてもよい、ただ自分は自分でいていい。自分の良いと思う数学をすればよい。だけど、心ではまだわかっていない。まだ、心穏やかならざる自分がいるのも本当である。若いからなのか、それとも、そういう気持ちがなくなってはダメなのか、まだわかっていない。
ああ、余白がたりなくて書きたいことが書ききれない。とりあえず毎日勉強しよう。

「メキシコ クエルナバカにて」


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