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‘Chance favors the prepared mind.’

瀧山 嘉久

神経内科学講座 (2011年11月)

 早いもので山梨大学に赴任して3年が過ぎました。当教室も少しずつ若い人が増えて活気にあふれるようになってきました。この機会に私が神経内科を専攻するようになったことと、研究のきっかけについて書いてみたいと思います。
 私は、昭和56年に自治医科大学を卒業後、初期研修を出身地の大分県立病院で行いました。地域医療を担うgeneral physician となるように、麻酔科、外科、小児科、内科などの多科ローテーションによる研修を行いました。
 神経内科を研修中に、永松啓爾部長から「とても珍しいタイプの脊髄小脳変性症の患者さんを担当してみないか?」と提案されました。学生時代から神経疾患に興味はあったのですが、この患者さんとの出会いが、神経内科を始めるきっかけとなりました。当初、患者さんは「非典型的マリー病」との診断でしたが、ちょうど私が患者さんを受け持っていた時に、国立筑後病院の酒井徹雄先生 (現 姫野病院) が、「日本にもマチャド・ジョセフ病 (MJD) 患者が存在する」という論文を発表されました (Neurology 1983年)。論文中の臨床像が患者さんのそれとそっくりでしたので、私の患者さんもMJDであろうという診断に至りました。
 当時、MJDはポルトガル領アゾレス諸島のマチャド家やジョセフ家に端を発するとてもまれな病気であるとされていました。
「なぜ大分にそんな珍しい病気の患者さんがいるのだろう?」
 ポルトガル大航海時代の16世紀の大分は、キリシタン大名であった大友宗麟が治めており、南蛮貿易が盛んでポルトガル人も多かったようです。そこで、「ポルトガル人からMJDはもたらされたのかな?」と漠然と考えていました。
 2年間の研修を経て、地域中核病院に異動しました。ここでは220床を4人の医師で担当しなければならず、私は、多いときには入院患者80人を受け持ち (今では考えられませんが)、外来が終わって昼食はいつも夕方4時半、その後検査などを行い、患者さんの夕食後に婦長と病棟回診、検査や薬のオーダーを出し、夜11時ころから近くの天ぷら屋で「いいちこ」を飲んで疲れをいやすといった毎日でした。とても忙しかったのですが、スタッフに恵まれて楽しく2年間の診療をすることができました。
 卒後5年目に自治医大神経内科で第1回目の専門研修をする機会に恵まれました。故 吉田充男教授、水野美邦助教授 (後に自治医科大学教授、順天堂大学教授、現 北里大学特任教授) から、「何の病気に一番興味がありますか」と問われて、とっさに「マチャド・ジョセフ病」の名前を口にしてしまいました。そうすると、水野先生が「車で2時間ほどのところに脊髄小脳変性症の2つの家系が住んでいます。私はマチャド・ジョセフ病について論文では知っていますが、実際に患者さんを診たことはありません。」と仰いました。そこで、私の大分での経験をお話ししたところ、水野先生と一緒に患者さんを診にいくことになりました。何か不思議な縁があったのかもしれません。驚いたことに栃木の患者さんの神経所見は、私が大分で経験した患者さんのものとそっくりだったのです。これが私の研究の出発点になりましたが、このとき水野先生に‘Chance favors the prepared mind.’ (チャンスは備えあるところに訪れる) というLouis Pasteurの言葉を教えていただきました。
 家系の方の集まりやすい週末やお盆、お正月に患者さんの自宅を訪問して、一人一人とお会いしていきました。自治医大神経内科の先輩の先生が築いていた信頼関係に加えて、家系の一人が地元病院の看護師であったので、「この病気の原因解明のために協力しましょう。」と家系の方々に呼びかけてくれたのです。度重なる調査の結果、2家系は一つの家系として繋がり、5世代125名、発症者30名のMJD本邦一大家系であることがわかりました。
 単一の大家系である利点を生かして、原因遺伝子座を同定するために連鎖解析を行おうと考えました (当時日本では連鎖解析はほとんど行われていませんでした)。当初、血液型物質を指標として人類遺伝学教室の池本卯典教授 (現 日本獣医生命科学大学学長)、梶井英治先生 (現 自治医科大学教授) にご指導いただき、また、卒後8年目の第2回目専門研修時には制限酵素断片多型DNAを用いて、生化学教室の香川靖雄教授 (現 女子栄養大学副学長)、筑波大学神経内科 金澤一郎助教授 (後に東京大学教授、現 宮内庁皇室医務主管、国際医療福祉大学大学院教授) にご指導いただき連鎖解析を行いましたが、うまくいきませんでした。
 卒後6-7年目と9-11年目には、それぞれ山間部と海岸部で診療所の開設を手がけました。山間部の診療所では、はじめて水道の蛇口をひねると泥水が流れ、びっくり仰天。聞くと沢に水をためて、そこから地域に配っているので、大雨が降ると泥水が出るとのこと。これは大変だと思い、診療所に濾過装置をつけてもらいましたが、大雨時にはこれも泥でつまり、傘を差して何度となく濾過装置を交換したのも、今ではよい思い出になっています。2カ所の診療所では定期的に診療所便りを町村内の全家庭に配ったり、各地区に健康講話に出かけたりして、「地域医療として何が求められているか?」を常に考えることの重要性を学びました。
 そして、義務年限が明けようとしたときに、栃木のMJD患者さんから一通のお手紙をいただきました。その内容は、「ぜひ栃木に戻ってきて自分たちの病気の原因を突き止めてほしい。」というものでした。そこで、自治医大に戻る決心をしましたが、栃木の家系の方々にお会いすることがなければ、きっと大分で地域医療を続けていただろうと思います。
 卒後11年目に自治医大神経内科に戻り、西澤正豊助教授 (現 新潟大学教授)、新潟大学 辻 省次教授 (現 東京大学教授) のご指導の下、マイクロサテライト多型DNAを用いて系統的な連鎖解析を行い、運良くMJD遺伝子座が第14番染色体長腕に存在することを、世界に先駆けて発見することができました (MJD遺伝子は、翌年、京都大学 垣塚 彰教授らにより同定されましたが、今では、MJDは日本でも世界でも最も頻度の高い遺伝性脊髄小脳変性症であることが分かっています)。
 現在、私は山梨大学医学部神経内科学教室を担当させていただいています。大友宗麟と同じ時代を生きた武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎は敵なり」と言い、城を作らずに、人を育てたと言われています。私も、これまでの「患者さんや先生方との出会い」を大切にして、山梨ですばらしい人材を育てたいと思っています。若い先生には、ぜひ、’prepared mind’を持って臨床・研究に臨んでほしいと思います。

卒後6年目の筆者、大分県のへき地診療所勤務時代。九州でも大雪が降ることがあり、朝、診療所周囲の雪かきをしたところ。


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