「今月のプロフェッサー」の担当者から原稿の依頼が来たときに、少し戸惑いました。プロフェッサーの立場から学生諸君に、自分の研究に対する考え方について、どういった内容を書けば良いのか、若干不安がありました。また、医学研究の道に入ってから、長い年月を経ても、自分がまだまだ理想とする研究者になっていないのではと常に自問自答しているからです。更に、外国出身の私は、本コラムで他の先生のように美しい的確な日本語で自由に表現できないというハンディも持っているので、このような「文章」を書くには本当に自信がないというのが本音です。プロフェッサーという立場よりも、私個人の経験から、とりわけ基礎研究に対する理解と持論について述べたほうが良いかと思い、筆を執ることにしました。医学研究を行いたい、あるいは将来、研究者になることを目指す学生諸君に少しでも参考になれば幸いです。
私は、中国(旧満州)吉林省吉林市の出身で、1983年に吉林省の中朝国境に近い朝鮮民族自治区の延辺大学医学部を卒業した後、すぐ中国医科大学大学院医学修士課程に進学しました。当時の中国では、大学院進学は、医学の頂点を極めるための登竜門と考えられるほど人気があり、大学院入学試験も非常に難しいものでしたので、私の大学の卒業生270人のうち、大学院入学試験合格者は4人だけでした。大学院進学後、中国医科大学病理学教室、陳鉄鎮教授の下で、動脈硬化の研究を始めました。その後、1987年に陳教授の紹介により佐賀医科大学病理学教室の渡辺照男教授のところにお世話になることで、日本への留学が実現しました。佐賀医科大学で医学博士の学位を取得した後、平成4年にアメリカへ渡り、念願のGladstone研究所(UCSF)に就職することができました。平成7年から再び日本に戻り、筑波大学基礎医学系病理学に11年間勤めた後、平成18年から山梨大学に移り、現在の分子病理学講座を主宰しています。研究の道に入ってから27年が経ちますが、その間、中国、アメリカ、日本と国は違えども、一貫して動脈硬化の研究を行ってきました。
医者になることを小さい頃から志したのは、軍医の父親からの影響があったと思いますが、研究者になろうとは、大学卒業時まで全く考えていませんでした。研究者になるきっかけは、むしろ、大学院で研究生活を始めてから、(偶然にも?)研究の道に入りたいという気持ちに傾いたような気がします。幼い頃は、通訳者に非常にあこがれて、違う国の人々がなぜ交流できるのかを不思議に思っていました。将来一度外国へ飛び出して生活してみたいという夢もありましたので、高校でロシア語、大学からは英語の勉強に没頭しました。日本語の勉強を始めたのは、日本に来てからです。考えてみますと、人生の時間のかなりの部分を外国語の勉強に費やしましたが、私にとって、この事が結果として、研究者になることに大きなプラスとなったかもしれません。これまで歩んできた道を振り返ってみますと、私を研究の道に導いてくれた恩師の渡辺照男先生からの影響が大きいと思っています。
私は佐賀医科大学の大学院生時代、臨床病理診断に携わりながら、動脈硬化の研究を進め、そのとき以来今日まで、渡辺照男先生の厳しいご指導を受けてきました。病理学の正確さを追求するためには、診断名だけが正しいのであれば良いという、決して「良い」病理医師になろうと思うなと仰られ、ここに先生の哲学があるように思います。先生の口癖は「病理診断は自分の都合でしてはいかんばい」でした。また、研究を行う際、「教科書に載せられるような結果を目指して欲しい」という言葉は今でも心中に深く刻まれています。
研究の何が面白いかということを、よく学生から質問されます。
研究の面白いところは沢山ありますが、そのすべてを言葉では表現できないところがあります。何故なら、研究のうまみは、研究を行う人にしか味わうことができないからです。もし、研究のうまみを好きな料理に例えられたなら、その味を容易に思い出せることでしょう。しかし、研究の醍醐味をクラシックミュージックに例えた場合は、その味が思い浮かばない人は数多くいると思います。クラシックの素晴らしさは時として人間の想像を超えることを、疑う人はいないはずです。ですから、研究の醍醐味はクラシックのようだと私は思っています。研究の基本過程においては、基本的に失敗と挫折の連続ですが、誰も見たことのないことを自分で初めて見つけたとき、その成果が出たとき、その論文が一流雑誌に初めて発表できたとき、その興奮の瞬間は本当に感動的です。しかし、実際の研究生活で一番良いのは、私から見れば、自分のペースで仕事ができること、あるいは自分の時間を自由にコントロールできることにもあります。
良い研究者になるための必要な条件とは何?
様々な考え方があると思いますが、私は本当に研究にはまっている、本当に研究が好きという前提が研究者になる最低限の条件だと思います。研究に対してはいやいやしぶしぶという受け身な態度で、いい加減に研究生活を送っていたら決して良い研究者にはなれません。研究者になるための必須条件としては、才能があることよりも努力することがもっと大事だと思います。確かに「やる気さえあれば、研究はできる」のです。しかし、研究の遂行には様々な挫折や困難が待ちうけていますので、たゆまず粘り強く挑戦を続ける精神が研究者になる上で大変必要です。また、どんな研究にしても、すべてを一人で行うことではできないので、周囲の人(国内外、学内外を含む)との協力が不可欠です。したがって、研究者になるために必要なのは、努力、協力>能力だと言えます。また、良い研究者としてのエッセンシャルな能力は何といっても英語の能力(reading, writing and speaking)とプレゼンテーション能力といえるでしょう。
我々の研究室では、皆、英語でコミュニケーションができるので、非常にインターナショナルな雰囲気であると感じています。それにより、より良い研究が可能になり、国際的な研究者を育成できると信じています。 皆さん、一緒にチャレンジしてみませんか。
来日した昭和62年、九州動脈硬化懇話会に於いて「左から筆者、恩師の渡辺照男先生、住吉昭信先生(宮崎大学前学長)」