1.公衆衛生学・保健学との出会い
今から30年近くも前、私は、いくつかの大学で学び、いくつかの仕事を経験して、山梨医科大学医学部(現:山梨大学医学部)に行き着きました。当時の私にとって、最大の懸案は「何を学ぶか」ではなく「どんな仕事をするのか」を明らかにすることでした。今までこの欄に登場された先生方のように抜きん出た能力があるわけでも、一つのことを突き詰めていく精神力があるわけでもなく(これが一番の大問題であることにその時は気付いていませんでした)、とにかく長い間続けられる仕事を見つけなければと、真剣に考えていました。医学部に入ったのも、医学という学問に強い興味があったわけではなく(そもそも医学って何かよく知りませんでした)、医師という仕事ならなんとかなりそうな気がしたからです。無事に卒業できたのは、当時の大学の環境が、精神的な重圧を感じることなく、自分のペースで物事を進めることを許してくれていたからです。そのようなわけですので卒業後は、はっきりとした道筋が見えないまま、地元の東海大学医学部附属病院で研修医として働くことになりました。そこでは、当時からローテート方式(さまざまな診療科を数ヶ月ずつまわる)の研修をしており、飽きっぽい私には最適と考えたからです。いろいろな診療科を経験できるのはとても楽しく、どの診療科にも捨てがたい魅力を感じました。唯一の問題は、手当が非常に少なかったことです。名目も給料ではなく図書代となっていて2年間、所得税がかかりませんでした。周囲の友人たちは皆、早く研修を終えて目指す診療科でばりばり働きたい(収入も増える)と言っていました。当たり前ですが、いつまでも各診療科を転々としているわけにはいかず、どこか一つの診療科を決めなければなりませんでした。そのような中で、仕事上の接点はなかったのですが、病院の食堂でよくお会いした病院管理学講座の教授に集団を対象とした研究を勧められました。余談ですが、この病院管理学講座の先生方は、いつも講座のスタッフ全員で昼食をとっていて、常々うらやましいなあと思っていました。助言を受け、大学のときに聞いた公衆衛生学(山梨医科大学では保健学)の授業や保健所での実習に興味を感じたことを思い出しました。善は急げ、母校の山梨医科大学保健学Ⅱ講座(現:山梨大学医学部社会医学講座)に行き、当時の浅香昭雄教授に(研究テーマは)何をやってもいいと言われて、早速、大学院入学を決めました。当時、骨粗鬆症による骨折が高齢者の寝たきりの原因として注目されはじめていたので、骨粗鬆症の危険因子を明らかにすることが最初の研究テーマになりました。特に、食習慣や運動習慣との関係を明らかにするのが大きな目的で、地域の保健師さんや栄養改善推進員の方たちと各地をまわって骨粗鬆症検診や栄養調査を行いました。ちょうどその頃、現在の山梨大学医学部社会医学講座教授の山縣然太朗先生が遺伝疫学の手法を習得され留学から帰国されたので、骨粗鬆症と生活習慣の関係だけでなく遺伝的な要因をも明らかにすることができ、大きな成果を上げることができました。その後は、骨粗鬆症だけでなく変形性関節症にも手を広げて地域での疫学調査を進めていきました。
2.公衆衛生学・保健学の実務の経験
1997年に当時は別の大学であった山梨大学保健管理センターに異動し、学校保健・産業保健の実務と研究を行っていくことになりました。大学での学生・教職員に対する健康管理の実務は、一次予防(疾病予防と健康増進)から二次予防(早期発見と早期治療)、三次予防(社会生活への復帰)まで全てをこなさなければならず、まさに公衆衛生学の教科書どおりだと実感しました。また、この頃から食事・栄養に関することだけでなく、運動習慣についても興味を感じるようになり、特に教育人間科学部の保健体育学講座の先生方と一緒に仕事をする機会を得てその方面の視野が一気に広がり、自分自身も楽しく運動を実践できるようになりました。学校保健・産業保健の現場は、本来は健康な人たちを対象としているのですが、その背後にはさまざまな健康リスクがあり、生活習慣病ばかりでなく、こころの問題、感染症といったさまざまな問題をマクロな視点から研究対象とすることが可能でした。
3.訪問診療と認知症
2002年からは大学院時代からの同僚の関係で在宅認知症医療に関わるようになりました。当初は訪問診療の実務をこなすのみで、認知症の人の家の中の状況に衝撃を受け、その対応に右往左往する毎日でしたが、多くの認知症の人たちの生活の場を拝見させていただくことにより、次第に、保健・医療・福祉に関係する多職種の連携の大切さや、マクロな視点で対策を考えていくことの難しさを感じるようになりました。認知症に関する疫学調査の研究班にも加わる機会を得ましたが、他の疾患と違い、認知症はその人がもともと持っている素因や、その人がおかれた環境の影響を強く受け、集団で一括りにして対応を考えることが非常に困難であると感じました。認知症に関連した症状でも、人によって苦痛と感じたり感じなかったりすることや、認知症の人が困難と感じることと周囲の人が困難と感じることが異なっていたりすることがよくあります。最近になってようやく、認知症の人がどのように感じて、何を考えているのかを本人の視点で明らかにするための研究が広がりはじめていますが、認知症の人を取り巻く環境を十分に改善できるところまでの結果は得られていません。認知症の人が感じること考えること、特に何を食べたいと思っているか、明らかにするための時間のかかる調査研究を現在も行っています。
4.そして、看護学と公衆衛生学
2013年から飯島純夫教授の後任として、医学部看護学科で公衆衛生学・保健学の教育を担当することとなりました。看護学科に来て1年が過ぎ、授業に実習、それに同時に引き継いだボート部の顧問と飽きる間もない日々を過ごしています。看護の中でも公衆衛生学は重要な分野で、国家試験の配点も決して低くはないのですが、看護学科の学生さんたちの関心は、将来即戦力として使える疾患や技術的な知識に向きがちで、専門以外の勉強をあまりしたがらない傾向があります。飽きっぽい私から見ると、大学生の頃から自分の学ぶべきものがはっきりしているのはうらやましい面ではあるのですが、看護の仕事は医師の仕事よりさらに相手の生活と深く関わっていかなくてはなりません。生活の視点からの介入は、教えられた知識や技術だけでは対応できない部分が少なくありません。それを埋めるのは、専門にとらわれない幅広い勉強や、自身のさまざまな経験です。もっと重要なのは、どのような状況でもより広い視点から物事を考えられることです。これは公衆衛生学の目指すところと一致します。さらに視野を広げるだけでなく、統計学的な数字から一人ひとりを(自分も含めて)どうやって幸せにしていくか、突き詰めていくことも公衆衛生学に課せられた大きな使命と考えています。授業や実習を通じて身の回りの問題について公衆衛生学的に考えることの楽しさを感じてもらえればと思います。
医学や看護学は、いろいろな問題をいろいろな視点から研究していくことができます。特に公衆衛生学は、容易に教科書を飛び出して、そこにいる人、そこに住む人を対象に、さまざまな問題を明らかにしていくことのできる領域であると感じています。
年齢とともに上り坂と温度変化に弱くなりました(大山登山マラソン2014)