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ウサギの耳;いかにして弱者は生き残りを計るか

桐戸 敬太

血液・腫瘍内科学講座 (2011年12月)

 巨大な加速器などを使った物理学の研究に比べると、どことなく手工業的で詩的な要素もあった生物学研究であったが、今世紀に入り大きく様変わりしようとしている。
 ゲノムプロジェクトが完了し、ヒトの遺伝子配列(ゲノム)が明らかになった。網羅的な研究時代の幕開けである。すぐにトランスクリプトーム(RNA),プロテオーム(タンパク)解析へと発展した。さらにはメタボローム(代謝産物)やキノーム(キナーゼ)など網羅的手法を用いた研究の進展はとどまるところを知らない。ゲノム解析についてもその手法は格段に進歩し、次世代シーケンサにより様々な疾患の遺伝子変異について、続々と明らかにされていく。
 臨床研究もしかりである。網羅的研究である疾患に関与する分子異常が見出されれば、あっと言う間にその分子を標的とした薬剤が開発される。そして、ビッグファーマをバックに豊富な資金と人材に物を言わせた欧米主導の大規模な前向き試験が次々に立案・実行され、エビデンスの高いデータとして発表される。アジアに目を向けても、中国や韓国の臨床研究のレベルは格段に向上しており、今やグローバル試験の一画に確たる位置を占めている。
 巨大化そして、グローバル化していく医学生物学研究。
 地方の小さな研究室に籍を置く身としては、ごうごうと流れる研究の大河を前にして呆然と立ち尽くすしかないのだろうか?
 グローバルな大規模臨床試験や参加することもできず、日々届けられるニューイングランドジャーナルやJCOなどの論文を嘆息まじりに読むことしかできないのだろうか?(戦力二乗の法則が教えるもの)
 一つの戦法は正面から勝負を挑むことであり、これが正攻法である。しかし、彼我の戦力比が開いている場合には得策ではない。
 全く自由な戦場で、武器や能力が等しい集団が戦闘を行った場合、その戦力比は二乗される。すなわち、2対1の戦力の差は、4対1となってはねかってくる。これをランチェスターの第二法則、あるいは戦力二乗の法則という。
 研究における戦力の構成要素は、研究に参加できる人数、研究に専念できる時間(科研費でいうところのエフォート)、資金力などであろう。人が多くかつ資金も豊富、臨床や教育にとられる時間もなく研究に専念できる環境にある場合と、少人数でしかも臨床の合間に時間をみつけて研究を行うような小さなラボとでは、この戦力比の隔絶は膨大なものとなり、正面から4つに組んだ勝負では勝機を見出すことは難しい。
 個々人のがんばりや気合いで不足した戦力を補うことができるだろうか。
 太平洋戦争における台湾沖海戦やその後のフィリピンでの戦闘の帰趨について冷静かつ正確な判断を行ったことで知られる旧日本陸軍参謀の堀栄三氏は、(鉄量に対抗できるのは鉄量のみ)との言葉を残している。この言葉は、物理的な戦力比を無視し、精神論を振りかざすことがいかに無意味かを教えている。どんなに気合をいれようとも、不退転の決意をもっていようとも、待ち構える圧倒的な火力に向かって丸裸で万歳突撃を行ってもむなしい結果に終わるだけである。

(弱者の戦法)
 それでは、小は大に勝つことはできないのであろうか?
 極めて困難かも知れないが、可能性はゼロではない。日本史をみれば、織田信長が今川軍を撃破した有名な桶狭間の合戦や、沖田畷の戦い、厳島合戦、河越夜戦など少数の軍が数倍の敵に勝利した戦いがある。山梨(甲州)とも縁の深い、真田昌幸が二度に渡り、徳川の大軍を撃退した例もある。
 先のランチェスターによると、大軍が自由に戦力を発揮できない状況では、戦力比は二乗とならず単純な比であらわされる(第一法則)。すなわち、1対2は1対2のままである。弱者は、第二法則ではなく、この第一法則が適応される環境で戦わなければならない。
このような環境を作り出す条件としては、
1)大軍が力を発揮できない地形を選ぶこと
2)あるいは戦力を集中できないタイミングを選ぶこと
3)自軍は力を一点に集中すること
4)敵のもたない強力な武器をもつこと
などがあげられる。先に挙げた戦国史上の戦いでも、
桶狭間では、今川軍が山中で分散しているタイミングを選び、織田軍が一点集中の強襲をかけることで勝利を得た。
沖田畷の戦いでは、隘路をもって龍造寺の大軍を封じ込めることにより島津軍が勝利している。
真田昌幸は根拠地上田城付近に引き寄せることで、徳川軍を翻弄した。
と、見事にこれらの諸条件があてはまる。
と言うよりは、信長や昌幸はこれらの状況を作り出したところで、勝負を挑んだのであろう。

 それでは、医学研究においては、いかにして上記の条件にあてはまる状況を作るとはどういうことであろうか?
 簡単なところでは、限られた予算と人員を一つの研究テーマに集中させるということであろうが、これはだれしも思いつく。
 大軍が戦力を集中しにくい、地形やタイミングとは何であろうか?
 大規模な臨床試験や網羅的解析が行いにくい特殊なテーマを選ぶことであろうか?あるいは、これらの解析で積み残されている問題に取り組むことであろうか?
 強力な武器をもつことができるのだろうか?
 むしろ、巨大ラボの方が環境も恵まれ、どんな武器でも手に入るように思える。
すぐには、答えを思いつかない。

(ライオンの戦法/ウサギの戦法)
 先の堀栄三氏は、戦後の日本の生きるすべとして、ライオンではなくウサギの戦法をとるべきとしている。巨大な牙や爪にたよるのではなく、情報収集にたけた耳を武器とし、つねに耳を研ぎ澄ませ、かすかな情報をおろそかにしないことを強調している。これこそが、ランチェスターの第一法則を発動させる武器であろうか?

 医学研究においては、日々の臨床で出会う小さな疑問やちょっとした実験データの中に弱者が生き残る答えがあるかも知れない。その小さな声を聞き逃さないようウサギの耳をたて続ける。

参考文献;
大本営参謀の情報戦記;情報なき国家の悲劇
堀栄三著 ISBN4-16-727402-7


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